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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

松平春嶽の大久保利通、木戸孝允評

松平春嶽(まつだいら しゅんがく)は大久保利通木戸孝允を以下のように評している。

大久保利通は古今未曾有の英雄と申すべし。威望凜々霜のごとく、徳望は自然に備えている。木戸、広沢の如き者にあらず、力量にいたっては世界第一と申すべし。余が大久保をこのように称賛するのは、衆人の称賛とは異なる。支那の談判、江藤の討伐、そのほか公の事業は種々あるけれども、私の見るところは御一新である。歴史の上を見てみよ。漢の簫何(しょうか:前漢の宰相)も豪傑なれども高祖という人があり、周公旦も賢人なれども武王あり、唐太宗には魏徴あり、日本も足利尊氏、頼朝、信長、太閤、家康公の臣下には英雄もあれども、皆主人の英雄豪傑であるを以てなり。このとき聖上は御幼稚にあらせられ、三条岩倉公も今日の両公にあらず、徳川の処分、封土奉還、廃藩置県、ならび西京の皇居を止め、首府を東京として、箱館戦争その他外国交際、第一日本全国の人心を鎮定してその方面を定める。みな大久保一人の全国を維持するに依る。維新の功業は大久保を以て第一とするゆえなり。
御一新の功は大久保もとよりなれども、大久保一人の手ではなかなか成り難し。衆人の協力とは申しながら、御一新の功労に智仁勇があった。智勇は大久保、智仁は木戸、勇は西郷である。この三人がいなければ、いかに三条公岩倉公の精心あるとも貫徹はしなかった。
大久保は豪傑であるけれども、どこまでも朝廷を輔賛する心あり、それは倒れて止むの気象である。木戸もまた同様であるけれど大久保とは少々違うところあり、大久保は政体上を専らとし、木戸はすこぶる文雅風流であるものの目的とするところは政体上よりも主上を輔賛し奉りて、皇威の地に不墜を専務とする。まず大久保は父なれば、木戸は母といえるだろう。広沢もすこぶる人物であるけれども、大久保、木戸と同列にはあらず、しかしながら地方のことには大いに注意し大功労ある人なり。私が見るところでは、大久保、木戸、西郷、広沢の四人がいなければこの御一新はできなかっただろう。
 木戸が帝王を補助し奉り、内閣の参議を統御して衆人の異論なくしたところは、大久保といえども及ばないだろう。木戸の功は大久保のごとく顕然せざれども、かえって大久保に超過する功多し。いわゆる天下の棟梁というべきだろう。

大久保が父(男性的)というのは、決断力が優れていたからだろうか。一方で、木戸孝允が母(女性的)と評されているのは、批判精神、理論性が優れていたからなのかもしれない。

 

大久保ではなく、木戸を天下の棟梁と位置づけていることは、大久保本人も自覚していた節がある。

「自分の本来の政治上の考えは、全く木戸君の識見および知識に符合しておる。従って木戸君の驥尾(きび)についてやらなければならぬ、と常に考えている」
伊藤博文に語り、辞職した木戸を政府に戻すため苦心したほどである。とはいえ、断行すること、責任感の強さで大久保が勝っていたので、木戸よりも功績が際立っていたのであろう。