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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

2014-12-01から1ヶ月間の記事一覧

資治通鑑に書かれたリーダー像(晋~五代十国編)

前回の続きです。 <a href="http://hikaze.hatenablog.com/entry/2014/12/29/110000" data-mce-href="http://hikaze.hatenablog.com/entry/2014/12/29/110000">資治通鑑に書かれたリーダー像(前漢~三国志編) - 人物言行ログ</a> 司馬師 司馬師は、司馬懿が築いた基礎を受けついだと于宝に評価されている。敗戦の処罰が諸将に及びそうになったとき、大将軍の司馬師は、「これは私の過失である。諸将に…

資治通鑑に書かれたリーダー像(前漢~三国志編)

司馬光が編纂した資治通鑑は孔子の『春秋』の形式(編年体*1)を用いて、『春秋』以後の政治の批判と考証をしています。「治世に利益があって歴代為政者の鑑(かがみ)とするに足る通史」(広辞苑)との意味で、このタイトルは神宗*2が下賜されたそうです。 …

伍子胥の復讐

前回の楚の話のつづきです。 三年鳴かず飛ばず――人材を見きわめる荘王の方法 - 人物言行ログhikaze.hatenablog.com 楚は、荘王がなくなってから、世子の共王が立ち、その後は共王の子の時代になるわけですが、ここで兄弟によるクーデターがおこり、平王が立…

三年鳴かず飛ばず――人材を見きわめる荘王の方法

中国の春秋時代は、孔子が編纂した史書『春秋』に由来する時代区分。 当時の王室「周」が衰微しはじめ、異民族におびやかされてしまいます。そこで諸侯のなかでも実力あるものが覇者(リーダー)として尊王攘夷(王室の奉戴と異民族の撃攘)にあたります。し…

西郷隆盛と中岡慎太郎の会見

前々回の記事で書いた『高杉と西郷』の会見に関連して、今回は中岡慎太郎と西郷隆盛の会談について。 &lt;a href="http://hikaze.hatenablog.com/entry/2014/12/23/123000" data-mce-href="http://hikaze.hatenablog.com/entry/2014/12/23/123000"&gt;西郷と…

非難に干渉せず、批判を薬とせよ。――タキトゥス『年代記』、『春秋左氏伝』から

非難を封じ込めようとした愚かな権力者 タキトゥスの『年代記』によれば、元老院を非難する演説をしたクレムティウスは、食を断ち絶命すると、元老院ではクレムティウスの著作を焼いてしまう。 しかし、こっそりと保存され、後には出版された。それでなおさ…

西郷と高杉は面会したか?

西郷と高杉は、幕末の二大英雄だ。このふたりは会見した伝説もあり、会見していないとする説も根強い。高杉が福岡に潜伏していたときと長州征伐のときに面会したといわれる。 高杉が福岡に潜伏していたときには、西郷はちがう場所にいたので訛伝《かでん》と…

史上の人物をおもいだし非難を乗り越えた

最近ブログに集中できずにいた。仕事が忙しいことも理由のひとつだったが、人間関係で面倒なことがあり、更新ができなかった。 タイトルにあるように職場で非難された。理由そのものは取るに足らないのに、発信者が上司に気に入られていたため、ことが面倒に…

勝海舟の修行――敵の中に知己をつくった男

『本当に修業したのは、剣術(禅もふくまれるだろう)ばかりだ』と勝海舟はいっている。僕のなかで勝海舟は、航海や蘭学のイメージが濃かったので意外な気がした。 戊辰戦争のとき、勝と西郷が肝胆相照らし江戸攻撃が中止になる。それは勝の開明的な大局観の…

勝海舟についての雑文

柄に手をかけた刺客に、勝海舟は従容として言い放つ。 「斬るなら見事に斬れ。勝は大人しくしていてやる」 その一声は、刺客の度肝を抜き、刀を抜かせなかった。 この一事を振り返った勝海舟は、後年吉本襄に、「人間は胆力の修養がどうしても肝腎だヨ」と語…

外国公使襲撃――高杉晋作1862年(文久2)

上海で晋作は、「拙者頗(すこぶ)る狂」と相手につげていた。『論語』でいう「狂者(進んで行う者)」のことである。帰国した晋作は「狂」によって、固陋因襲な状況を打破しようとした。 帰国してから 上海から帰国した晋作は、世子公(藩主の世継ぎ)の小…

なぜ、萩から優秀な人材が出たのか

春に萩を旅したとき、円政寺の住職さん(なのだと思われる方)からいろいろと話を聞くことができた。 印象に残っているのは、萩市のなかでも、この武家屋敷の区域から、東大の主席が何人出て、また政界、経済界の重要人物もたくさんでている、ということだっ…