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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

大隈重信による木戸・大久保・西郷評――『大隈侯昔日譚』

大隈重信は維新三傑にしばしば言及しているが、木戸や大久保を称揚する一方で西郷については冷評していることが多い。『大隈伯昔日譚』(明治二十八年)では「政治上の能力は果たして充分なりしや否やという点については、頗るこれを疑うのである」と語り、…

日本統一のために人材を登用した木戸孝允

前回の記事では大久保利通が西園寺公望にむかって「卿等の時代になれば藩閥の問題が政治に少なからず面倒を惹起することであろう」と注意を与えていたことを書いたが、その大久保自身も藩閥の弊害を最小限にすべく尽力していたと感じられる。それはこれまで…

大久保利通と西園寺公望

「野に遺賢なし」とは東洋の政治哲学における理想である。大久保利通はこの理想を実現させるべく人材登用、人材養成に力を入れていた。明治元年、岩倉具視宛の書中で以下のように書いている。 公卿若年の御方三四名、諸藩より七八名、極めて御精選を以て、英…

山本権兵衛の記憶に強く刻まれた大久保利通の逸話

東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢し、海軍大臣として日露戦争を勝利に導いたことで知られる山本権兵衛。彼は維新前から俊英として知られ、大議論家でもあった。しかしそんな彼ですら、大久保の威厳には敵わなかったようである。高橋新吉はつぎのとおり述…

碁の打ち方にあらわれた維新元勲の性格

大隈重信は「趣味に乏しい人だった」が、囲碁は特別好きだったらしい(岡義武『近代日本の政治家』)。 photo credit: igo with skeleton stones from kobayashi satoru via photopin (license) 大隈が見た元勲らの碁 大隈はあるとき維新の元勲たちの碁の打…

大隈重信が涙ながらに語った大久保の思い出――大隈と川路の仲を取りなしたことなど

今回紹介する逸話は『甲東逸話』に載せられているもので、明治14年大隈が辞職したとき、大隈邸に寓居していた西幸吉に語ったことだという。 大隈が辞職したことに驚いた西が「国家のために甚だ遺憾である」と述べたところ、大隈はつぎのように語りはじめた…

佐々友房と肥後気質

副島種臣が養子にすることを望み、木戸孝允をして「後世恐るべしはこの子なり」と言わしめたほどの秀才だった佐々友房。もしも彼が東京に留まり副島種臣に薫育されたならば才徳兼備の一大人物になっただろう。あるいは、才徳兼備とまでいかなくとも、後年の…

中井弘と桐野利秋

中井弘(ひろし/ひろむ)は薩摩出身の人物としてはかなり風変わりな経歴で、面白い逸話が豊富な人物である。しかも彼は桐野利秋に認められ、桐野の庇護を受けていた。そのため彼の伝記『中井桜洲』には、あまり知られていない桐野の人間味や中井に利用され…