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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

森銑三著『おらんだ正月』

本書は明治以前に医学、植物学(本草学)、天文学などで功績のある人物が紹介されています。 児童の雑誌のためにまとめられた書籍ですから、平易な文章で書かれていて、とてもわかりやすいです。(森銑三氏の文章が好きな自分としては、ややもの足りない感じ…

Google Play ブックスで無料で読める徳富蘇峰の著作について

自分が理解されるのは千年後だ、と徳富蘇峰(とくとみ そほう:徳富猪一郎)は自負していたそうですが、現段階では彼の再評価がおこなわれるどころか、著作すら入手しがたい状況です。 大型書店を覗いてみても「吉田松陰」ぐらいしか見かけないのではないで…

西郷隆盛の藩政改革を制止した島津斉彬

島津斉彬の男児は『高崎くずれ』の頃に相次いで亡くなっている。この不幸は、お由羅側(久光擁立派)が呪詛したためだという風説があり、西郷もそれを信じて疑わなかった。 そして嘉永七年(安政元年)七月二十四日、当時六歳だった虎寿丸(とらじゅまる)が…

水戸側の人物と交流して薩摩藩の改革が必要であると実感した西郷隆盛

前回書いたとおり西郷隆盛と藤田東湖は互いに認めあい、国政改革の同志として親交していた。東湖の紹介により、江戸にいた志士と交わるようになる。当時の西郷に影響を与えたのは、水戸藩の人物が多かったようである。 水戸藩の俊傑たち 戸田忠敬(とだ ただ…

西郷隆盛と藤田東湖の関係

海江田信義が藤田東湖と面会したのは嘉永6年だった。つまり西郷が東湖と面会する1年前である。 東湖は、「大事業をなす人物が必要だ。薩摩の人物はどうであるか」と海江田に訊いている。 海江田信義は、西郷隆盛と大久保利通のことを語ると、 「二人は何歳…

西郷隆盛の生涯

西郷隆盛の生涯に関する記事のまとめ 1827年(文政十年)12月7日、下加治屋町(しもかじやまち)に生まれる。 父は吉兵衛(きちべえ)、母はマサ。先祖は菊池武光だとされる。 少年時代 13歳のときに友達と喧嘩して右腕を斬られ(故意か事故かは不…

大久保利通の生涯

大久保利通の生涯に関する記事のまとめ 1830年(天保元年)8月10日、大久保利世の長男として生まれる。生まれた場所は「高麗町」だというが、幼年のころに加治屋町に移住したことから誕生の記念碑も加治屋町に建てられたと『大久保利通伝』に書かれて…

島津斉彬に庭方役を命じられた西郷隆盛

襲封した島津斉彬は、藩士に意見書を提出するようにすすめた。広く意見を求めて、すぐれた人材を抜擢するためだった。 西郷隆盛はこれに応じて藩政改革や農政改革についての意見書をこまめに提出していたようで、後年の西郷はつぎのように語っている。「自分…

「この忠死の列に加わらなかったことを恨む」――高崎くずれに憤慨した西郷隆盛

西郷隆盛が23歳のとき「高崎くずれ(お由羅騒動)」といわれる政変が起こる。西郷は処罰を受けなかったので、大久保利通のように一家が閉門することもなく、弾圧後も郡方書役として勤務しつづけている。 高崎くずれの頃の大久保利通の苦心 - 人物言行ログ …

西郷隆盛のルーツと遺伝について

西郷家は菊池の一族 西郷隆盛は「菊池源吾」という変名をつかったけれど、これは”吾(われ)の源(みなもと)は菊池氏”という意味だという。(『西郷隆盛 命もいらず 名もいらず』) 菊池氏といえば南朝の忠臣・菊池武光がよく知られている。『日本三大決戦…

篠原国幹と池辺吉十郎の沈黙対決

不言実行は武人の美学。それなので薩摩藩の人物には寡黙な人がおおい。大久保利通もそうだし、川路利良、東郷平八郎……しかし彼らも篠原国幹(しのはら くにもと)にくらべれば、口数が少ない程度にしか思えないかもしれない。 篠原は片言たりともゆるがせに…