hikaze

幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

松平春嶽の大久保利通、木戸孝允評

松平春嶽(まつだいら しゅんがく)は大久保利通、木戸孝允を以下のように評している。 大久保利通は古今未曾有の英雄と申すべし。威望凜々霜のごとく、徳望は自然に備えている。木戸、広沢の如き者にあらず、力量にいたっては世界第一と申すべし。余が大久…

前島密の江戸遷都論と大久保利通の果断

大久保は創案する人ではなく、すぐれた意見を採りいれて、それを実現に運ぶところに特徴があった。池辺三山はつぎのように書いている。 大久保には、自分独りで考えた方針主義というものは、どうにも見当たらない。尊王、討幕、開国進取、遷都、廃藩置県、西…

最善を得ざれば次善を取り、次善を得ざれば三善を取る――大阪遷都論にみる大久保利通の政治力

大久保利通の大坂遷都論は、大政奉還以上の衝激だったと佐々木克氏は語る。その衝激の大きさのために公卿の反発は大きく、廟議でも否決された。それでも大久保は屈しなかった。表面的に妥協しながらも強固な意志を貫き、臨機応変に対処し、目的としていたと…

大山巌の学問と韜晦

大山巌は、兵士に学問させるか否かで桐野利秋と言い争ったことがある。 「兵隊の調練がないときは、遊ばせておくよりも学問をさせたほうが良かろう」というのが大山の意見だったが、「兵隊に学問はいらぬ」と桐野は反対した。 そこで大山はナポレオンが学問…

岩倉具視を罵倒し、大久保利通を刺そうとした桐野利秋

西郷隆盛の腹心として知られる桐野利秋は、岩倉具視を罵倒し、大久保利通を刺そうとしたことがある。これは西郷の朝鮮派遣が実行されないことに憤ったためであるが、西郷はこのために苦しめられたという。 西郷の主張に共鳴する そもそも桐野利秋は、西郷隆…

高杉晋作にはどうしてもかなわない――とある医者の話

「俺は残念ながら、どうしても高杉にはかなわない。それもどこがどうという訳でもないが、いつでも奴には押さえつけられるような気分がして、自然負けるようになる。これは実に不思議でならぬ。どう考えてみてもその理由がわからぬ」と福岡のある医者は、人…

明治六年の政変と大久保利通

林董が大久保利通を評して、「大久保は明治年間のみならず、日本の歴史中まさしく有数の政治家である」と語っていたことは以前の記事に書いた↓ <a href="http://hikaze.hatenablog.com/entry/2015/04/17/103000" data-mce-href="http://hikaze.hatena…

西郷隆盛の隠遁癖——美点と欠点

横井小楠は西郷隆盛のことを、「どこやら西行に似ている」と、評したという。それは西郷の隠遁癖を看破したものである。その隠遁癖ついて大久保利通、牧野伸顕父子が語っているところを以下にまとめてみた。 人々の手本となった隠遁癖 池上という西郷派の幹…

西郷隆盛と犬の話

上野公園の西郷隆盛像が薩摩犬をつれていることからもわかるように、西郷隆盛は愛犬家だった。西郷と犬の面白い逸話があったので、『大久保利通 』『幕末・明治名将言行録【詳注版】』から紹介したい。 大久保から妾を持つことをすすめられる 西郷と大久保が…

榎本武揚と談じて、旧幕府軍に加わった林董

イギリスに留学していた林董は、戊辰戦争が勃発したため帰国する。 帰国の途次、セイロン島で読んだ新聞により上野で彰義隊が奮戦しているのを知ったようだが、この時点で旧幕府勢力に加わるつもりがあったかは不明である。刀を売却し渡米しようとしていた彼…

幕府の命を受けイギリスに留学する——林董

英語を学んだ話の続きで、今回は林董の英国留学について。 <a href="http://hikaze.hatenablog.com/entry/2015/05/03/151710" data-mce-href="http://hikaze.hatenablog.com/entry/2015/05/03/151710">日英同盟を締結させた林董の少年時代 - 人物言行…

日英同盟を締結させた林董の少年時代

林董(はやす ただす)は日英同盟を締結させた外交官として知られる。彼の著作『後は昔の記 他―林董回顧録 』を読むと、生まれた家庭、育った環境により外交官となることは運命づけられていたようにおもえる。 父・佐藤泰然 林董の父・佐藤泰然(さとう たい…

西南戦争のとき大久保の代理をつとめた前島密

近代郵政の父として知られる前島密(まえじま ひそか)は、西南戦争のときに大久保の代理をつとめて内務にはげみながら薩軍に勝つため苦心していた。『前島密―前島密自叙伝 』のなかから逸話を紹介する。 大久保の代理となる 明治十年二月某日、大久保の使い…