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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

独立の気象がある西郷隆盛と大見識をもって服従させた島津斉彬

島津斉彬はかつて、
「西郷だけは薩国貴重の大宝である。しかし独立の気象があるので彼を使えるのは私だけだろう」
と語っていた。

 

後年、島津久光が藩の権力を握り率兵上京を計画したとき、西郷が反対したことを思いあわせれば、斉彬は西郷の性質を看破していたことがわかる。

また斉彬が久光の子を世継ぎにしようとしたとき、西郷が反対したことからも、西郷が一見識を有すとともに主君を批判する勇気も備わっていたことが見てとれるし、以下に示すエピソードもそれを証明している。

西洋にかぶれていると批判する

西郷は攘夷思想の大本ともいえる水戸の人物と交わり、殊に藤田東湖からの影響を強く受けていたので、斉彬が蘭学を好んでいることを憂慮していた。

 

あるとき斉彬が高野長英に翻訳を依頼したことがあった。すると西郷は直言した。

「恐れながら、君候には蘭癖があるといわれております。私もまたそのことを憂いております」

 

蘭癖とは西洋かぶれという意の蔑称。西郷も有馬一郎などから世界の大勢を聞いていたといわれるが、それ以上に攘夷気分が根強かったのだろう。

斉彬の説諭

しかし流石は斉彬である。
「まだそのようなことを言っているか」
と嘆息してからたしなめている。

「万国の形勢を知らないからそのように言うのだ。今や欧米諸国たがいに攻伐をこととし、列国を制し、領土をあわせ、開拓して土地を拡張しようと企んでいる。そして自国で兵器を開発し、船艦を製造し、利害得失を考究している。そのために技術は発達していき、器具はさらに進歩する。今では向かうところ敵なしな状況。しかも民衆には智勇がそなわり、四方を経営して、偉功を奏し、忠勇をもって国に殉(したが)う。列国の形勢、西洋人の忠勤はこのようである。私は彼らから学び、短を補い、国家を改良せんと欲しているのだ。どうして西洋人に偏するものといえるか。よいか眼光を活大にし、今後は蘭癖などという愚かしい発言をすることなかれ」(勝田孫弥『西郷隆盛伝』)

 御両敬

伊藤博文直話にも、斉彬が西郷をたしなめたエピソードが収められている。

(斉彬が)徳川幕府の安藤だったか、水野だったかに、御両敬(ごりょうけい)ということを申し込んだ。向こうが和泉守様といえば、こちらが修理大夫様という、それが御両敬だ。
 西郷が鹿児島の御庭番か何かしているときであったらしい。斉彬公を諫めて、
「彼はどうも奸物です。彼(か)の奸物に御両敬をお申し込みになるのはよろしくない」
というと、斉彬公は、
「馬鹿をいうな。それは貴様の智恵ではなかろう。水戸の藤田東湖からでも習うてきたのじゃろう」
といわれたとのことである。なかなか非凡の人であった。(中略)

家来のいう言葉を聴いて、それに籠絡されるような人ではなかった。

この話が事実なのかはわからないけれど、二人の関係を物語るものとして世に伝わり、伊藤博文もありえそうな話だと考えていたわけである。

斉彬の寵愛、西郷の仰望

上記のエピソードを見てもわかるように西郷は諫言も直言も憚らない人物であり、斉彬はそうした西郷の気質を愛していた。しかも斉彬は一段も二段も優る見識で説服して、独立の気象がある西郷を見事に従わせ、さらには識力を鍛えている。

 

斉彬がいかに西郷を愛し、西郷がいかに斉彬を仰望していたか。

二人の信頼関係を物語る美談としてつぎの話が伝わっている。

 

斉彬はことあるごとに自分の衣服を脱いで西郷に与えていた。西郷はよく知られているように大柄であり、斉彬から賜った衣服は体に合わなかったけれども寸法を直したりせず愛用したということである。

 

 

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