西郷隆盛の生涯
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1827年(文政十年)12月7日、下加治屋町(しもかじやまち)に生まれる。
父は吉兵衛(きちべえ)、母はマサ。先祖は菊池武光だとされる。
少年時代
13歳のときに友達と喧嘩して右腕を斬られ(故意か事故かは不明)、おもいどおりに右腕を動かせられなくなった。このとき西郷は志を立てた。
「武士として生きるためには、文を学び、武を励み、事が起きたときに身命を投じねばならない。それなのに自分は右手をそこない、武道をきわめることはできない。これより筆硯(ひっけん)をもって槍剣に代え、文を励み、精神を錬り、士道を尽く」
以後、寸暇を惜しんで苦学し周囲を驚かせてという。
青年時代
1844年(弘化元年)17歳
郡方書役助として出仕する。このときの上司(郡奉行)は、迫田利斉(さこた としなり)。
農民思いの迫田は、台風のため凶作になった年、年貢の減免を藩庁に願い出たが聞き入れられず、憤慨して絶命した。
虫よ虫よ、五ふしの草の根を絶つな、絶たばおのれも、ともに枯れなん
という一首を藩庁の壁に残していた。後年、西郷はこの歌を口ずさんでいたという。
1850(嘉永三年) 23歳
高崎くずれ(お由羅騒動とも)といわれる政変により、尊敬する有志者たちが処刑される。
1852年(嘉永五年) 25歳
伊集院兼善の娘・須賀(すが)を妻に迎える。
7月、祖父龍右衛門が死去。9月父・吉兵衛が病死、11月母・マサも世を去っている。
1854年(嘉永七年) 27歳
斉彬の参勤の列に加わり江戸出府。
四月、庭方役に抜擢される。
四月十日、藤田東湖に面会する。
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