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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

碁の打ち方にあらわれた維新元勲の性格

大隈重信は「趣味に乏しい人だった」が、囲碁は特別好きだったらしい(岡義武『近代日本の政治家』)。

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photo credit: igo with skeleton stones from kobayashi satoru via photopin (license)

 大隈が見た元勲らの碁

大隈はあるとき維新の元勲たちの碁の打ち方をつぎのように語ったことがある。

 

伊藤はあの位な才子だが、碁にかけては駄目だ。我輩よりは余程下手である。福沢もあの位闊達な男であったが碁にかけては実に痴であった。考えることが長くって対手(あいて)は実に困った。岩倉と大久保は両人共なかなか上手であった。どちらかと云うと、大久保の方が少し上手であった。ところが大久保は激しやすい人であったので、岩倉はその呼吸を知っているから、対局中、常に大久保を怒らせて勝ちを取った。児島惟謙はなかなか強情張りで囲碁にもなかなか岡目の助言を聞かぬ。どうしても助言に聴かざるを得ない時には、助言に従うとは云わん、その手もあると云って自分の思いつきとしてやる。——市島謙吉『大隈侯一言一行』

 

伊藤博文の打ち方を「我輩よりは余程下手である」と言っているのは誇張ではなく、第三者から見てもそのとおりだったが、だからといって大隈が勝てたわけではないと尾崎行雄の回顧録に書かれている。

尾崎行雄が見た伊藤と大隈の性質

 尾崎は伊藤と大隈の碁の打ち方を見たとき、そこでは単に盤上の勝負が繰り広げられていただけではなく、政治家としての行き方の相違が顕現していたと述べる。

大隈伯は素人碁としては、まず一流の仲間に入るべきものである、一流の下であるか上であるかは別問題としてとにかく一流に入るべき仲間で、伊藤公は中の下ぐらいで、余程段が違う、しかし伊藤公は下手ながらも初めの布置などに多少の考慮を費やし、余程上手である。大隈伯の石を下すのを見ると、そのはじめにおいて大局の形勢の決すべき大切の場合に、全局を呑んでいる、ほとんど思慮を費やさずしてドシドシ石を下す、そのうち何処か一局部が非常に困難に陥るか、もしくは大局に敗勢が現れると、はじめて手を止めて考え出す、その考えた結果は随分面白い手を出して、どうかこうか頽勢をある程度までは弥縫して、さまで甚だしき失敗をみずして難局を切り抜ける。こういう段に至ってはまず素人碁の内ではだいぶ偉い方であろうけれども、既に大勢において非なる状況が現れて後に、初めて思慮を費やすのであるから、余程巧みに切抜けても、根底より大勢の挽回は出来ない、もしアレだけの思慮と手腕を、そのはじめに当たって費やしたならば、大局の形勢を進める上に、余程の利益があるであろうと思うけれども、いつ碁を打つ時を見ても、最初は一向思慮を運(めぐ)らさず、難局に陥って初めて考慮を費やす癖がある、これは独り碁ばかりでなく、大隈伯の多くの仕事が常にそういう形を持っている。すなわちアレだけの英邁の資質を具えておりながら、比較的志しを得なかったのも、畢竟その天品の才略知慮が、事の初めに用いられず、難局に陥って後に用いる性質の種類であろうかと思われる。――『咢堂回顧録』

 

それゆえ政治家として伊藤と大隈を対比させると、

「伊藤公は飽くまで思慮を凝らし、裏からも表からも、種々各方面から考えて作戦計略を運(めぐ)らすに対し、大隈伯は一気呵成に畳みかけて叩き詰めるという形が多く見えた」ようで、

「一方は用意周到なるに反し、一方は粗大にやるという点よりして、重要の対戦において、大隈伯はややもすれば敗者の位置に立たざるを得ない状態に陥った。勝つ方は必ず多少の恐れを抱いて緻密に事を計画し、敗る方は侮り気味を以て粗放にやってのけるという状態が、余程久しく継続した」と語っている。

 

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