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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

西郷隆盛のルーツと遺伝について

西郷家は菊池の一族

西郷隆盛は「菊池源吾」という変名をつかったけれど、これは”吾(われ)の源(みなもと)は菊池氏”という意味だという。(『西郷隆盛 命もいらず 名もいらず』)

西郷隆盛 命もいらず 名もいらず

 

菊池氏といえば南朝の忠臣・菊池武光がよく知られている。『日本三大決戦』のひとつとされる筑後川の戦いで足利勢を撃攘して九州を南朝勢力の支配下においた人物。九州における勤皇のシンボルともいえる。

 

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こうした理由から西郷家の家紋には、菊池氏が後醍醐天皇から拝領したという菊花紋があしらっているそうだ。(『西郷隆盛の世界』)

菊池武光の後に太郎政隆というものがあった。それが菊池氏十八外城の一なる菊池郡増永にいて、西郷姓を名乗っていたのである。(略)
この西郷氏が元禄年間にはじめて薩摩の島津家に仕えた。それが西郷九兵衛である。その九代目が吉兵衛であってすなわち南洲の父である。――徳富蘇峰『史論新集』

以上は西郷の家系についての徳富蘇峰の説明。増永城には、「西郷南洲先生祖先発祥之地」という碑があり、政隆以降の西郷家の当主は『隆』の一字を受けついでいった。(ちなみに西郷隆盛の本当の名前(諱:いみな)は「永隆」で、「隆盛」は父の名前)。

容貌魁偉は遺伝によるもの

中岡慎太郎が同志にあたえた書簡では、西郷隆盛について以下のように書かれている。

西郷吉之助、為人(ひととなり)、肥大にして後免(現・高知県南国市)の要石(力士)にも劣らず、古の阿部貞任などはこの如き者かと思いやられ候……

阿部貞任は身長6尺(180㎝)あまり、腰囲7尺4寸(222㎝)と伝えられる平安中期の陸奥の豪族。このような人物と比較していることからも西郷がいかに容貌魁偉であり、中岡を驚嘆させたかがしれる。

 

この巨躯は遺伝によるものであったらしく、西郷の五代の祖・吉兵衛は剣客大山角四郎の門に入り、その怪力を世に知られた人物であり、西郷の祖父・吉兵衛は、「無敵吉兵衛」と称し、当時の江戸角力の小結・九紋龍のライバルだったとか。(勝田孫弥『西郷隆盛伝』、長谷場純孝『西郷南洲』、横山建堂『大西郷』)

このような身体の特徴が遺伝されたのは、西郷にとって幸運だったと徳富蘇峰は語っている。

天は真にしあわせなものを南洲翁に与えたのである。誰が見ても、十人が見ても、百人が見ても、千人が見ても、あの人が西郷翁かということに気のつくような容貌である。
南洲翁自身は、自分を宣伝するような人じゃ決してない。近頃流行る自己宣伝などということは、非常に嫌いである。人のすることも嫌い、自分がすることは尚更嫌い、すなわち最も宣伝嫌いの人であったが、天が南洲翁を非常に宣伝するような身体を与えたのである。
どこに行っても自分は豪傑ぶらないけれども、豪傑の容貌、風采、態度を与えてくれた。決して南洲翁が自分みずから大きな眼をこしらえたのじゃない。生まれながら大きな眼である。魁偉の容貌、堂々の幹躯、斉彬公一見してこれは普通の者ではないと、お考えになっただろうと私は推察する。

 

彼の熱烈な勤皇精神と人を圧倒する風格は上述した出自と遺伝によるものが大きく、それが時流に磨かれ、師友に鍛えられ、苦難によって練り上げられた。そしてなによりも西郷その人の立志、覚悟、己が人物になるという心がけによって蓋世の英雄になったのだとおもわれる。

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