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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

岩倉具視を罵倒し、大久保利通を刺そうとした桐野利秋

西郷隆盛の腹心として知られる桐野利秋は、岩倉具視を罵倒し、大久保利通を刺そうとしたことがある。これは西郷の朝鮮派遣が実行されないことに憤ったためであるが、西郷はこのために苦しめられたという。

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西郷の主張に共鳴する

そもそも桐野利秋は、西郷隆盛が朝鮮に派遣されることに反対の立場だった。理由は、国家の柱石である西郷が危害を受けるおそれがあったことと、また当時台湾で琉球人が虐殺されたので台湾征伐すべきだと主張していたからである。

 

そこで桐野は東京に出て、西郷を説得しようとした。しかし逆に西郷の主張に共鳴するようになり、台湾征伐のことは忘れて熱心な征韓論者(実際の西郷は遣韓論者)になったという。

以上は牧野伸顕が、大浦兼武から聞いた話として『回顧録 上巻』に載せている。

岩倉具視を罵る

西郷の熱心な運動により、朝鮮に使節として派遣されることは閣議決定されていたが、急遽帰朝した岩倉具視や大久保らの反対により、征韓論争が繰り広げられる。

このとき桐野は岩倉具視邸へ行き議論した。
征韓論を主張する桐野に対して、岩倉は言う。
「西郷とともに君たちが朝鮮に赴いたら、誰が帝国を守るか」

「多士済々、憂うるところはない」

「朝鮮を征して、もしロシアが我に抗せばどうする」

「ロシアが抗せば、長駆してその首都を衝くのみ。何を恐れるところかある」
と、桐野は昂然として言った。

 

以上は『幕末・明治名将言行録』を意訳したものである。また『後は昔の記 他―林董回顧録 』によれば、議論の末に桐野は、

「貴様は奸賊であるぞ」
と岩倉を罵倒したという。しかし結局、岩倉、大久保により遣韓派は打倒され、西郷は辞職する。

大久保を刺そうとする

征韓論争破裂後、桐野は大久保を訪問して、征韓の要を説いている。そして大久保が反対派の首魁であると知らない桐野は、「異論を唱える大臣参謀らを斬る」と主張した。

 

それに対して大久保は、
「異論を唱える首魁は我輩である。反対派の大臣を斬るというならば、まず我を斬れ。そもそも君ら軍人は、命を受け戦いをすればそれでよいのだ。閣議について口を出すことは軍人の本分ではない」
と言った。

 

桐野はこれを聞いて憤慨し、大久保を刺そうとしたが、吉田清成が間に入り止めた。このときを回想して吉田はつぎのように言っている。
「あのときほど困ったことはない。今思いかえしも、毛髪の慄然たるものがある」

西郷の歎息

以上のように桐野は、熱心というよりは過激な征韓論者となっていた。しかもこれらは西郷の主張が実行されるのを望んでの運動だが、このために西郷は苦しめられてしまう。

 

西郷は、征韓論争で敗れた数日後に帰宅して、座敷で長靴をはいたまま立膝をしていたという。それを見て忠僕の熊吉が、「これからのことはどうなるのでしょうか」と訊ねると、
「実に困る。桐野などがなかなか手に余る。何とかしようとして、初め士族を率いて北海道に行くことを考え、次に征韓論を主張したが、これもうまく行かぬ。いよいよ仕方がないから鹿児島に引込む他ない」と言ったという。