さあ、失敗しよう
吉田松陰先生は失敗の多い人生だった。「松陰先生の一生は失敗の歴史である」と徳富蘇峰が極言しています。
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松陰の失敗の数々
- 東北旅行したときに藩の許可をとれないまま行ってしまった
- ロシアの軍艦に乗ろうと長崎に行ったけれど間に合わなかった
- 下田でアメリカの軍艦に乗ろうとしたとき、ボートをうまくこげなかった
- 軍艦に乗り込めたけれど海外に行くことはできなかった
- 幕府の重臣を要撃することを計画するけれど弟子にすら止められる
- 幕府に捕らえられたとき、知られてなかった要撃の計画を口走ってしまう
ほかにも失敗はたくさんあるけれど、これだけでも失敗が多かったとわかると思います。
しかし「渡米失敗は成功だった」と徳富蘇峰はまとめています。
それまでのペリーの日本人に対する考えは、
- 小賢しい
- 横着
- 臆病
- 出放題を言って当座を誤魔化す
それで油断できない、断じて尊敬しがたい、多くの弱点を持っている民族だとしていたけれど、吉田松陰を知ってイメージが大きく覆される。そして幕府にたいして、松陰の刑を軽くしてほしいと願ったそうです。
松陰が多くの失敗をものともせず挑戦しつづけたことは、松下村塾生たちを奮い立たせた、と僕はおもう。高杉晋作や久坂玄瑞らに計り知れないエネルギーを与えたはずです。
マシュー・C・ペリー
ペリー提督は、前任者の失敗から学んだ人でした。
日本を開国させようという動きは、ペリー来航以前からあった。ジェームズ・ビルド提督がその任務にあたる。
ジェームズ・ビルド提督は「日本人を刺激してはならない」と命じられていました。
そのため、日本の役人が乱暴に突き押され、小艇のなかにもんどり打って倒れたときも、平和裏におさめていた。それが逆に、アメリカ人は軟弱である、と印象付けてしまい、任務は失敗します。
彼の失敗を知っていたペリーは、軍艦を率いて武力を示し、自らは厳格な態度で臨んだということが『伝記 ペリー提督の日本開国』に書いてあります。
失敗は無意味でも無価値でもない
失敗とは、人生の学習プロセスの重要な一部なのです。進化が試行錯誤を繰り返してきたのとおなじように、人生でも、最初に間違い、途中でつまずくのは避けられません。成功するかどうかは、こうした失敗の経験から、その都度、教訓を引き出せるか、そして、新たに身につけた知識を武器にして前に進めるかどうかにかかってきます
(ティナ・シーリグ『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』)
僕が歴史を見ていておもうのは、他人の失敗によって教えられるし、自分の失敗によって学ぶこともできるとういことです。
だから何かに挑戦することは、決して無価値にはならない。挑戦することで、結果がどうあろうと教訓はえられる。失敗すればどこに問題があるか明かにできる、成功すればさらなる自信が得られる。
と、こんなふうに僕が書くのは、自分のブログが無価値ではない、と自分に言い聞かせるためですけどね。
読者登録してくださった方や、スターをくださった方へお礼のしかたがいまいちわかっていないんですが、これからも読んでもらえればうれしいです。