歴史を求めて板橋へ
これまで「東京で撮った写真」として史跡などを訪問した写真を載せていましたが、とても嬉しいはてなブックマークのコメントをいただきました。
東京で撮った写真part2 - 幕末維新備忘録
史跡を巡り。そのような視点でお写真を撮られ、こうして載せていただくと、その時代に想いを馳せることができます。綺麗に撮られていますね。
2016/08/04 14:53
happy-ok3様コメントありがとうございました。
それで前回までの記事だとどうしても場所がわかりにくいと思ったので、私がこれまでに撮った写真を埋め込み、簡単な説明を加えたマイマップを作ってみました。
まだまだ登録している史跡は少ないですが、これから順次追加していこうと思います。
板橋へ
それで今回は板橋周辺で撮影した史跡などを紹介します。
近藤勇のお墓
ちょうど紫陽花が咲いているころに撮った写真です。このときにはEOS 80D を買い増ししてしまうほどカメラにハマってました。それで80Dを購入してから、以前から行きたかった近藤勇のお墓へ。板橋駅東口の真ん前にあります。
私は新選組について詳しくなくて実際このブログでも取り上げていませんが、近藤勇を降服させた有馬藤太が「(流山の陣中で会見したとき)近藤の物腰格好を見るに実に立派なもので、私は全く敬服してしまった」と回想していることからも、非凡な人物であったと思われます。また、近藤勇が処刑されたことを桐野利秋や野津兄弟も口惜しがったとのことです。
加賀前田家下屋敷跡
板橋駅西口の案内板を見ていると、加賀公園が「加賀前田家下屋敷跡」ということがわかりむかってみることに。
他にもなにやら史跡らしきものがあったようですが、あまりにも蚊が多かったのですぐに離れました。
平尾宿脇本陣跡
加賀公園から板橋の旧街道へ。板橋宿の案内板を見たあと、取り敢えず史跡らしきものを巡ることに。その一つが平尾宿脇本陣跡です。
はじめは幕末維新と関係ないところだと思っていましたが、説明板には次のような書かれていました。
新政府軍に捕らえられた近藤勇は、平尾一里塚付近で処刑されるまでの間、この豊田家に幽閉されていました。
近藤勇の幽閉も知らなければ、江戸時代にペルシャ産のラクダが来ていたのも知らなかったのでビックリしました。意外なつながりですね。
中宿脇本陣跡
再び旧街道に戻ります。
早朝っぽい雰囲気を出すためセレン調にしてみました。で、この旧街道を進んで、中宿脇本陣跡へ。ここも幕末維新とは深い関わりがあったようです。
文久元年に和宮が宿泊し、慶応四年には岩倉具視率いる東山道軍の本営となり、明治初期には明治天皇が行幸の際に休憩したとのこと。
板橋宿本陣跡
本陣というのは、ふつう大名等の宿泊施設なのですが、江戸に近い板橋宿では主に休憩所として用いられたそうです。
板橋
そのまま旧街道を進み地名の由来となった「板橋」へ。
あとから撮った写真を見返してみると、イマイチ臨場感の伝わらない写真ばかりでした。それに気分に任せて歩いたので、重要な場所を見逃しているかもしれません。まあそんなことを理由にして、またいつか撮影に行こうかと思います。
最後に橋の近くで撮れた個人的に気に入った写真を。