hikaze

幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

自由民権派に対する山岡鉄舟の態度——人の追従すること能わざる卓見と遠識

山岡鉄舟の門下であった佐倉達山氏は『徳川の三舟』という私刊本を出版している。同書で氏は、鉄舟の豪傑振り、剣、禅、書に精通していたことを述べたあと、「斯く叙来ると、彼は単に精力絶倫の一鐵漢にして、政治の得失などには無関心かの如く思わはるるが、決して左にあらず。人の追従すること能はざる一種の卓見と遠識とを持って居る」として、板垣退助が来訪したときのことを紹介している。本文を要約すれば次のようになる。

 

f:id:hikaze:20151120091330p:plain

板垣との問答


理論家の板垣は、舌を振るって立憲制度の美点を説き、「英国には二つの政党が対峙して、互いに真理を見出し、善くその正鵠を失わない。我邦もこれに倣わなければならぬ」と述べた。

 

鉄舟は耳を傾けて静黙してのだが、板垣が語り終わると、「板垣さん。折角の御論だが、それは取止めにして頂きたい。外国ではそうかも知れませんが、我国情には適しません。元来人間という奴は名利の固まりだから、党など組めば、その勢いを恃んで公平の考えなどは出ません。終には百弊続出して、また如何ともすることができません。貴方は国家の元老だから、深く考えて貰いたい」と言い出した。

 

それを聞いた板垣は不満げに、
「先生は西洋の事を御承知ではないからだ」と一言残して、立ち去ったという。

 

下野の自由党員との問答

 

また佐倉氏が明治26年に出版した『山岡鉄舟伝』の中には、ある自由党員が自由民権論を説いたときの話が載っている。

 

それによれば、下野の自由党員某が国会開設請願のために上京したとき、鉄舟のもとを訪問して、西洋の学理と当今の形勢、さらに自由民権の説を論じて、鉄舟の意見を叩いた。すると鉄舟は何も言わずに腰をあげようとした。そこで某が、
「小生の意見は既に開陳したとおりであるが、先生が何の返答も無く立ち去られようとするのは、どういう次第ですか」と詰ったのだが、鉄舟は大笑して、「やはり私の自由ではないか。君は何故に私の自由を妨げようとするのか」と答えた。これには自由党員某は何も返せず、立ち去るしかなかったという。


一見すると西洋の思想や政治制度に冷淡な態度を持していたようであるが、あるいはこれは禅問答のような深みのある言動で、極端な欧化主義に痛棒を与えて内省を促し、中庸に立ち返らせようとしたのではないだろうか。たとえ中庸は望めないとしても、深思熟察を求めたであろうことは板垣への返答を見ても明らかである。こうしたところに「人の追従すること能はざる一種の卓見と遠識」があり、佐倉氏が世に伝えようとしたところだと思われる。