山岡鉄舟と清河八郎の問答——『某人傑と問答始末』
山岡鉄舟居士は『某人傑と問答始末』と題する自記を残している。この「某人傑」について『幕末の三舟―海舟・鉄舟・泥舟の生きかた 』では佐久間象山だと書かれていて、それにならって私も過去に記事を書いたのであるが、『高士山岡鉄舟居士』によれば「某人傑」とは清河八郎のことであるという。誤情報を訂正する意味も含めて、『高士山岡鉄舟居士』に書かれている流れを紹介したい。
清河八郎は鉄舟よりも六歳年上であり、武道だけではなく、和漢洋の学にも通じ、武道も心得ていた当時の一人物であった。千葉周作の道場にかよっているとき鉄舟を知ったのである。
それであるとき清河は、鉄舟の心事を試すために問いかけた。
「貴殿は元来潔白の性質で、禅学、武術に志し、日夜心胆を練って居られる様子であるが、失礼ながら、果たして君の為、国の為、或いは人の為に身命を擲つ志がありますか。真の御心底の程が承りたい」
あまりにも思い掛けない質問だったため鉄舟は返答せずに沈黙していると、清河は前言を幾度となくくり返して責める。それを鉄舟は大口を開いてからからと打ち笑うと、清河は怒気を含んで大喝した。
「汝は木石同様で、人倫の何物たるかを知らざる不届な野郎だ」と。
鉄舟は物静かに、
「拙者は浅学無識、加うるに身賤劣にして、左様な難しきお尋ねは初めてで、近頃迷惑の至り、しかし強いてお尋ね故、遠慮なくお答致さん。一体、貴殿の仰によると、我々が済世の要は、君の為、国の為、或いは人の為に尽くすを以て、無上の極道と思召されて居るようであるが、果たして平生其の御所存で実行になって居られますか」と問い返す。
清河は言下に、「言うまでもなく、及ばずながら日夜苦慮し、聊かなりとも貢献せんと思い、片時たりとも忘れざるのみならず、現に実行して居る」と言い放つ。
鉄舟は答える。
「世間には往々左様な人が多きも、自分は左様には思わず。今貴殿の申される如きは、皆自負心にして自惚れと申す外はなく、この自負自慢の自惚を去って、正味の処を拝聴致したい」
「自負自慢自惚とは何事ぞ」と清河はさらに怒る。
それでも鉄舟は落ち着いて、「怒ることを止めて先ず御一考なさるが宜しい。貴殿のお宅にも多くの召使が居らるべし、それらの僕婢が朝夕貴殿に事うるの外、なお君国の為に奉公すると致したなら、貴殿はそれに比して其の優劣如何と思召されますか。いよいよ人間一生の事業は、所詮多寡の知れたものである。我々がこの世において当然尽くすべき職責を、君の為、国の為、人の為などと勿体を付けるのは、単に口実と申す外はあるまい。篤と算盤を採って差し引き勘定を試みたならば、恐らくは真実正味の残る所はあるまい。一歩を進めて、虚心坦懐その理の存する所を自覚するに至らば、君の為、国の為、人の為などと、洒落たことは云われぬ筈ではないか」と述べると、清河も悟るところがあったらしく、それから鉄舟を信じる事厚く、水魚の交わりをなした。それで共に国事に奔走するようになってからも先輩ながら鉄舟には一目置いていたという。