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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

松方正義の首を助けた大久保利通

松方正義の述懐によれば、廃藩置県の建議書を大久保利通に見せたところ、「(薩人に)この書を見せるな、また決してこれを口にするなかれ、このことがわかると、あなたが廃藩置県を建議したというて、首を刎ねられるぞ」と注意されたという。

 

後年、この大久保の注意に従ったことで命が救われたと実感し、また廃藩置県を断行する際の覚悟と周到な準備には実に思いやられると礼讃している。以下『甲東先生逸話(鹿児島教育会編)』から引用。

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松方正義の述懐

明治二年の春であった、まず御維新王政復古の大業も立ち、各地の戦争も収まりがついたので、朝廷において深き思召有り、官吏三等官以上を御前に召され、国政に関し存寄の儀申し出づべく、広く意見を徴せられたことがある。

 

自分は当時日田県令であった。廃藩置県の議を建白したその前に薩長土肥四藩より版籍奉還の建議あったが、自分の議論は版籍奉還が行われてもその趣意が十分徹底しない、全国が朝廷の下に統一して、はじめて王政復古の実が行われるというべく、当時の情況は、同じく各藩割拠、人心やはり藩本位を脱することができない、これは自分長崎にいる時分、山陽の著書をつねに読んだ、新策とか改記など愛読して、王政の下に統一なかるべからざるを感じておったが、それから廃藩置県の急務を思いついたのであるが、この建議書を大久保さんに御覧を願ったが、大久保さんが云わるるに、この趣意は好い、無論やらなくてはならぬが、今直ちに国(同藩)の人にこの書を見せるな、また決してこれを口にするなかれ、このことがわかると、あなたが廃藩置県を建議したというて、首を刎ねられるぞと、深く注意を受けたことがある、今でもその建議書は写しが家に残してある。

 

当時鹿児島では盛んに藩政の維持拡張の論がおこなわれ、すべて、藩本位で各藩、また同様あとから考えると大久保さんの御注意で、命が助かったようなものである。

 

もちろん西郷、大久保、木戸さんなどは、廃藩置県のことを断行する考えは持っておられ、ただ時機を待っておられたことは、疑を容れないところで、明治四年西郷従道、山縣の両人がフランスから帰国され、大いにフランスの政治統一に感得するところありて、西郷さんがまず大久保さんに、廃藩置県の急務を説かれたことあり、大久保さんはあたかも好し時機到れりと見られたか、西郷さんを帰藩せしめ、大西郷さんに説かしめられた、大西郷さんも同意を表せられた。また一方山縣さんは木戸さんに説かれた。木戸さんはもちろん異議あるべきはずはなく、これも大西郷さんに意見を聞かしめたるに、さらに異存はない、従道さんが、はじめ大久保さんに含められて、帰県されたとき、大西郷さんはこの断行のためには、朝廷に十分に兵力を備えて着手しなければ難しからんとの考えを持たれ、かの御親兵と称せられた薩長土の三藩から兵力を、東京に集め、いざといわば、兵力を以て断行するという決心を以て、四年七月十四日の大発表となって、天下に号令された、これほどの大決心と、周到なる大準備があって、はじめて行われた大事業であったので、自分がそれより二年前の明治二年の春にこの建白をしたのは大胆過ぎたが、自分は当時の事情には通ぜずにおったが、大久保さんから注意を受けて、それを守って沈黙しておった。大久保さんたちが、大勢を察し時機を捉え、中央政府の基礎を建設するに、苦心惨憺されたことは、後から実に思いやられるのである。殊に久光公はじめ、藩を本位として政府に力を尽くさざる御考えにて、藩地一般も同じく廃藩置県のごとき甚だ喜ばれない、久光公のごときこの時分より政府の施設対して大いに不平を起こし居られたようである云々。