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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

山本権兵衛の記憶に強く刻まれた大久保利通の逸話

東郷平八郎連合艦隊司令長官に抜擢し、海軍大臣として日露戦争を勝利に導いたことで知られる山本権兵衛。彼は維新前から俊英として知られ、大議論家でもあった。しかしそんな彼ですら、大久保の威厳には敵わなかったようである。高橋新吉はつぎのとおり述べている。

 

大久保公の前では流石の山本大将も閉口したそうです。何か議論があるとすぐ参議連中をいじめにいったものだそうですが、大西郷の前では滔々としゃべりたてるが、大久保さんの前へ行くと、時々明解な判断をされ、批評をされるのとある程度以上に截(き)り込んで議論すると、「それはあなた方の論ずる範囲でありますまい」との一言で、すっかり参ってしまったと、これも山本(権兵衛)大将の実話であった。――『大久保利通 

こうしたこともあり大久保には親しむことができず、彼は西郷党となっていた。しかし後年、伊藤博文の話を聞いてその真面目を理解できたと回顧している。以下『甲東逸話』から引用。

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山本権兵衛の談話

つらつら当今の世態を観察するに、兎角人間の規模が狭く小さくなってゆくようで、彼の人はどう、此の人はこうであると、短所欠点のみを挙げて批評すること、朝野共に然りである。斯くして、人を用いるにも一方に偏し易く、事を処置するにも公平を欠き、弊害百出する傾向のあるのは、誠に歎ずべきことである。人間は、つねにひろく大きい気分を養成していなければならぬと思う。物事を観るには、大局高所からこれを観、人を用いるにも些細な欠点流癖を忍び、その長所を採り、各その材能を伸ばせるように、仕向ける心がけが肝要である。陰口をいって徒らに人の批評を試み、他の欠点を指摘し、誰の系統とか誰の流派とか人の好悪をほしいままにし、自然偏狭に陥るのは、甚だ好ましからざることで、互いに戒むべきことである。

 我輩らが、若い時分には、先輩方の話を聞くために、好んでその門を叩いたものであった。西郷さんのところにいくといつも喜ばれて、

「自分は落語家でないから話が聞きたければ物事を尋ねてくれ」
という風で、有益なる談話に時のうつるを覚えず、あたかも春風に触れるよう長閑な気持ちになり、辞して門を去るときは、誰も心中に言うに言われぬ愉快を感じたものである。


 然るに、大久保さんの前へ出るとこれと反対で、いかにも怖い顔をしておられた。言葉は少なく、ただその威厳にうたれて、この方から言いたいことも言われず、小さくなって帰るので、人気は自然に西郷さんの方に集まった。我輩も西郷党であったのである。
 大久保さんが真にいかなる人物であったか、当時若輩であった吾々には窺い知ることができなかったが、後年伊藤さんから大久保さんのことをよく聞いて、なるほどと感じることが多かった。

 伊藤さんがいわれるには、
「大久保さんの威厳は一種の天稟であった。兎角人間の威厳は傲岸偏狭をともなうものであるが、大久保さんは全く違っていて、誠に珍しい度量の広大なる方で、しかも公平無私で、誰でも人を重んずる風がある、非常に広い大きな人物であった」
と、嘆称しておられた。

自分がかつて、伊藤さんの伊皿子の邸にいったときに、ちょうど木戸公の嗣子孝正君が襲爵の挨拶に来ておられた。
 伊藤さんが孝正君にむかっていろいろ話された中に、今でも自分の記憶に残っていることは、大久保さんのことに関する逸話である。その話の筋は斯様である。


「人間は、心が狭くては駄目である。つねに広い心を持ってゆくことが肝要である。君の前でいうのはいかがかと思うけれども、忌憚なくいえば、君の先代木戸公はひろく大きくはなかった。むしろ狭い方であった。人を容れることができず、ついに余り仕事も成し遂げ得られなかった。我輩は公には容易ならぬ知遇を受け、お引き立てを蒙ったが、しかし、その間に随分困ったことも多かった。
 然るに、大久保さんは、誠に度量のひろい大きな方であった。かの西郷の如きは、誠に竹馬の友として幼少のときから親しい間柄であったにもかかわらず、我輩などに対して話されるときでも、つねに老西郷、老西郷といわれ、また先代木戸公に対しては、木戸先生と鄭重に尊称しておられた。これは単に表面上ばかりでなく、殊更につくられた態度でもなく、実際に心中に敬意を表せられ、推称しておられたように思われる。
 それに、平生、誰の系統とか、何藩人とかの区別を設けず、何人に対しても推すべきは心中からこれを推し、用いるべきは心中から敬して用いておられた。それゆえ大久保さんにはみんな心から服し、喜んで力を致したのである。ゆえに天下に志ある者は、多く大久保さんの知遇を得んことを欲したのも、決して偶然ではない。それで、明治の世となって以来、大久保さんほどに国家の難局を処理し、また事業を多く遂行された方は、維新の諸先輩中他に類例を見ないのである。人間は、偏狭では、世間に出でて仕事はできない。心得べきある」

と、諄々として孝正君に訓え述べられたことを、同席で傾聴したことがあるが、今日の世の中で殊更に先輩に学ぶべきもの多くあることを感ずる次第である。