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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

大隈重信が涙ながらに語った大久保の思い出――大隈と川路の仲を取りなしたことなど

大久保利通関連

今回紹介する逸話は『甲東逸話』に載せられているもので、明治14年大隈が辞職したとき、大隈邸に寓居していた西幸吉に語ったことだという。

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大隈が辞職したことに驚いた西が「国家のために甚だ遺憾である」と述べたところ、大隈はつぎのように語りはじめた。

 

「事のここに至ったのは全く薩長軋轢の関係から来たもので、邦家の前途深憂に堪えない。余は政府と縁を絶ち、野に下って学校を開き、国家有為の人材を養成せんと考えている。今更いうも詮方ないことではあるが、薩長の関係については、及ばずながら平生心を用いていたものであるが、事ついに志と違うに至ったのは、甚だ遺憾である。今にして思い出されるのは、故内務卿大久保さんのことである」

 

 「大久保さん」と力を込めてくり返し、「大久保さんが今日なお生きて居られたならば、斯かることはなかったであろう」と、両眼に涙を浮かべてはハンカチーフを取り出し、”語っては目を拭き、拭いては泣き、思い出多き歎息をして”続けた。

川路の顔を見るのも嫌だった

「大久保内務卿は、度量が大きく親疎の別なく、よく人を容れ、かつ人と人との調和折合については、常に留意して居られた。また、人々の材能は遺憾なく発揮せしむる手腕について、実に天稟であった。而して大警視川路利良と余との間を大久保さんが調停されたことは、もっとも思い出多きものの一つである。
 余はある事情で川路が大の嫌いであった。川路の顔をみるさえ好まなかった。あるとき、余は大久保内務卿にむかって、『川路はいやな奴で御座る』と話したら、内務卿は、『何故か』と尋ねられた。そこで斯様斯様と話したところ、内務卿はカラカラと打ち笑われ、『それは何かの間違いであろう』と言われたのである」

大隈と川路を招宴する

「その後、また余が内務卿の宅に往ったとき、卿がいわれるには、『来る何日某席において粗宴を設けることにしてある。是非臨席して貰いたい。殊に川路も招いてある』と。

 余は、『川路が来るならばお断りいたしたい。彼と同席することは迷惑である』と答えたのであった。
 内務卿がいわれるには、『否この度は枉げて来臨ありたい』と、いわれたので、内務卿の言葉に対して、強いて辞退することもできず、嫌々ながら出席したところ、宴たけなわならんとするに及び、内務卿は一々席を廻って、応酬に努められ、川路の前に止まって、何事か私語くと見えたが、うち連れて余の前に来、川路と余にむかい、『今日のごとき会合には、どうだ心置きなく互いに杯を汲んで貰いたい』といわれた。
 このとき、川路から余に杯を求めたが、内務卿の如才ない取りなしで、互いに応酬を重ね、談話を交えるうちに、川路の顔を見ていると、その眼に何となく親切気の現れていることが察せられた。そこで、今までの執念も、いささか取り除かれたような思いをいたしたのであった」

二人の親睦は大久保からの賜物

「その後、余はある日宴を設けて川路を案内した。余もまた川路から招かれたことがある。かくのごとく会合を重ね、互いに心情を語り合う間柄となり、ついには一日川路に逢わなければ気が済まないようになった。
 川路は警察創設の際で、職務に渾身の力を込めている頃であったが、毎夜市内の各警察屯所を見回って監督を行い、雨天の折などは、粗服に長靴を履いて巡視につとめたのである。
 ある夜のことであったが、余はすでに寝に就いていると、川路は夜遅く宅を訪ねてまわり、二階の寝室に上り来たり、起床するに及ばないとてそのまま暫時用談を済ませて帰ったことさえあった。
 斯様に心をゆるし合う間柄となり、公務上に多大の幸福を得たのである。これは全く、内務卿の賜物であったのである」

政府の中心を失った状態

「然るに、内務卿が世を去られた後は、廟堂の関係、薩長の間に確執を生じ閣僚の仲さえ相反目するに至った。国務の進行はこれがために支障をきたし、ことごとに調和を欠き、政府における真の中心を失ったのが今日の状態である。余は今回官を辞して在野の身となるにあたり、有栖川宮御前に罷り出でて、国家の前途薩長の関係等につき余の心中を述べ、将来に対する愚見を言上して退いたのである」

後に大隈夫人は、「わたくしは永年寝食をともにしているが、大隈が今日のように涙を流して泣いたことはじつに初めてである。往事を追懐して心中しのび難き思いに堪えなかったと見えます」と語ったとい。

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