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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

台湾時代の新渡戸稲造と児玉源太郎

新渡戸稲造が台湾に奉職することになったのは、児玉源太郎(台湾総督)、後藤新平(民政長官)に要望されたからだった。

 

新渡戸は二人との面識はなく、二人が要望した理由もわからなかった。

 

後藤新平はおなじ岩手出身とはいえ彼は旧仙台藩で、新渡戸は旧南部藩だったので交流はない。

 

児玉は一度だけ議会で答弁している姿を見ただけであり、しかもその答弁を聴いた新渡戸は、
「なんてずるい人だろう」
という印象を受けていた。

 

そんな彼らから、「台湾に奉職するつもりはないか」と打診されたとき、てきとうな理由を付けて断っていた。しかし彼らは辞退するほどの理由ではない、と三度も打診して、ついに新渡戸の心を動かしたのだった。

偉人群像

 

児玉源太郎の理解力に驚かされる

児玉源太郎と台湾で面会したときの印象について、
「悪くいえばずるいかもしれないが、要するに頭の働きが電光石火のような人である」
と新渡戸は語っている。


なかでも驚かされたのは、並外れた理解力で、専門家の学説を耳に入れるだけでその分野を専修していたのかと疑わされるほどだったという。

 

新渡戸が『糖業改良意見書』を出したときにも、その理解力、実行力、達見に感服したという。

そもそも新渡戸は、台湾全土を巡察し現状を把握してから意見書を提出するつもりだったが、児玉と後藤に反対される。

 

実際的のことなら、われわれの方がよく知っているから、別に君の議論を煩わす必要がない。われわれの望むところは、君が海外にあって進んだ文化を見て、その眼のまだ肥えているうちに、理想的議論を聴きたいのであって、台湾の実情を視察すればするごとに眼が痩せてくる。人はこれを実際論というか知らぬが、われわれの望むところは君の理想論である。――新渡戸稲造『偉人群衆』

 

大概の政治家は、学者の所説を頭ごなしに否定する。空理空論だとして耳も傾けない。それでいて自らの小さな政策を弄して、実際論 だと錯覚しがちなのだが、児玉総督と後藤民政長官は違った。彼らは、現状に妥協していない理想論を求めていたのだ、と新渡戸は語っている。

児玉の一諾が台湾財政五億円の基礎になる

児玉、後藤がすすめたとおり意見書を提出すると、児玉は二度繰り返して読んでから、新渡戸を呼び出した。

 

「君、これで行けるのか」
と児玉が訊ねる。

 

「はい、行けると思えばこそ書いたのであります」

 

「本当にこれで行けるかね」

 

「はい、技術上、学術上から推せば必ず行けると思います。しかしこの意見書通り実行するかせぬかによるのであって、この中(うち)に殊に閣下に読んでいただきたいと思うところが、1ページございますがお気につきましたか」

 

「それはフレデリック(フリードリヒ)大王のことではないか」

 

「全くそうであります。フレデリック大王がプロシア農政改革実行のために、ときには警察権を用い、ときには憲兵の力をかりたりして、なかなか手厳しくやりました。しかるにここに糖業を基礎として台湾の財政独立を計るには、フレデリック以上の決心を要するものと思います。なかなかこの保守的の農民を相手に改良種を植えつけたり、すすんで機械を用いることは容易でなかろうと存じますゆえに、仮に閣下が私にこれをやれと仰せられたところで、一兵卒のない技術官には何もできません。とにかくこの意見書でやるか、やらないかという問題は、全く総督の決心一つによることであります」

新渡戸がこのように述べると、児玉総督はイスから立ちあがって、部屋のなかを歩きまわり、しばらくしてイスに戻ると手を振って、笑った。
「君、やろう」

新渡戸は、この一諾が台湾財政五億円の基礎となったと述べている。