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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

島津斉彬に庭方役を命じられた西郷隆盛

西郷隆盛関連

襲封した島津斉彬は、藩士に意見書を提出するようにすすめた。広く意見を求めて、すぐれた人材を抜擢するためだった。


西郷隆盛はこれに応じて藩政改革や農政改革についての意見書をこまめに提出していたようで、後年の西郷はつぎのように語っている。
「自分が抜擢されるに至った経緯は詳しくしらないが、あるいは提出した意見書が斉彬公の眼にとまったのかもしれない」


しかし改革派に属していた西郷はスムーズに抜擢されなかった。斉彬がはじめて西郷を見たのは、藩主になってから3年後、江戸に参勤する途中でのことだった。

斉彬、西郷をはじめて見る

江戸に参勤したのは嘉永7年正月。ペリー来航の翌年である。このとき西郷は中小姓の列に入っていた。

水上坂(みっかんざか)の茶屋で休憩しているとき、斉彬は、
「西郷吉之助はどこにいるか」と側にいた藩士に訊いた。

藩士は巨大な体躯の男を指さす。西郷を見た斉彬は、これは異材だ、としばらく西郷を熟視していたといわれる。

以前引用した徳富蘇峰の言葉はこのときのことを言っている。

天は真にしあわせなものを南洲翁に与えたのである。(中略)
魁偉の容貌、堂々の幹躯、斉彬公一見してこれは普通の者ではないと、お考えになっただろうと私は推察する。

 

 庭方役を命じられる

藩主になって以来斉彬は、藩内の統一を重視して、父・斉興や保守派の反発を招かないよう人事をすすめていた。政治に不慣れだからとの理由で斉興に政務御介助を頼み、斉興時代の権臣をそのまま留任させている。それだけではなく斉彬擁立運動のために遠島や閉門となった人たちも容易に放免しなかった。

こうした背景があったので、西郷を側に置きたいと考えながらも、斉彬は抜擢できずにいた。

そこで斉彬は側近の伊東才蔵に相談した。伊東は、西郷と親交があったので是非用いるべきだといい、庭方役に任命すること提案した。(関勇助が庭方役に用いるように進言したともいわれる)。

 

 

庭方役とは、庭の手入れをしたり、盆栽の世話をする植木屋のような役割だが、これは小身の者を側に置くための秘策でもあった。

西郷は毎日庭の手入れをする。そこへ斉彬が自分の意見を認めた紙片を捨てる。それを西郷が拾って、人目に付かないところで拝見し、地震の間という非常時しか出入りしない机のうえに自分の意見を書き加えて隠しておく。そうして斉彬と西郷は意見交換していたという。

 

 

ついには二人で語りあう関係となり、密議を談ずることもあった。この頃について西郷は、

余はかつて斉彬公の前に出でて談話を申上げるや、談論妙所に至り、情熱し意気相投ずるに及んでは、覚えず相近づきて膝と膝とをつき合わせ、余は公が君主であることを忘れ、公もまた余が臣下であることを忘れられたようだった。

と言っている。

 

また斉彬の側近も、西郷と話しているときはたばこ盆を叩く音がいつもと違い機嫌が良いようだったと証言している。

そして斉彬自身も、
「私に家来が多数あるけれども誰も間に合うものはなし。西郷一人は、薩国貴重の大宝である。しかしながら独立の気象があるので彼を使えるのは私だけだろう」
と語っていたと松平春嶽が手記している。

 

斉彬は同様のことを藤田東湖、戸田忠敬にも語っている。

「この頃大変よいものを手に入れた。それは中小姓を勤めていた西郷吉之助という軽い身分のものであるが、なかなかの人物と認める。どうか一つ交際して、以後引き立ててもらいたい。宜しく頼み入る」

これを聴いた藤田と戸田は西郷と面会することを楽しみにしていたという。

 

 

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