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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

「この忠死の列に加わらなかったことを恨む」――高崎くずれに憤慨した西郷隆盛

西郷隆盛が23歳のとき「高崎くずれ(お由羅騒動)」といわれる政変が起こる。西郷は処罰を受けなかったので、大久保利通のように一家が閉門することもなく、弾圧後も郡方書役として勤務しつづけている。

 

 

けれど「高崎くずれ」と無関係ではない。由羅や家老・調所広郷(ずしょ ひろさと)ら久光擁立派を排除しようと有志者が計画していたとき、西郷も彼らの門を出入していた。謀議にふかく関わっていなかったので処罰を受けなかったにすぎなかった。

赤山勒負の自刃と西郷の悲憤

「高崎くずれ」に列座し、自刃を命じられた人物のなかには4つしか年齢が離れていない赤山勒負(あかやま ゆきえ)がいた。

日置島津家の次男の赤山は、藩内きっての俊英にして改革派の中心人物。父・吉兵衛が邸に出入りしていたことから、西郷は赤山と交わるようになり尊敬していた。

赤山が自刃のときに身につけていた肌着は、彼の遺言により西郷に渡される。西郷はこれを受け取り慷慨した。
「己はむしろ、この忠死の列に加わらなかったことを恨む」

有馬一郎から教えを受ける

「高崎くずれ」以降の西郷は、郡方書役を勤めるかたわら、大久保利通、長沼嘉兵衛らとともに修業に励み、君側の奸を除こうとする計画を立てていた。

大久保利通に関する記事でも書いたとおり、このとき西郷らは有馬一郎から教えを受けていた。有馬も「高崎くずれ」に連座して謹慎を命じられていた。

 

 

有馬は、壁にかけた世界地図を指しながら、アヘン戦争ならびに欧米のアジア侵略を説明して、藩ごとにバラバラになっていては列強に対抗できない、皇室の下に統一された近代国家を築く必要があると力説したという。(長谷場純孝『西郷南洲』)

そして日本を近代化させるためには、すぐれたリーダーが必要であり、島津斉彬こそリーダーにふさわしい先見性と器量をそなえていると西郷らに伝えている。

 

西郷と大久保が殉難した烈士の遺志をついで、斉彬を藩主にしようと策謀したのはこのときからだった。もっとも斬奸が実行される前に、幕府が政変に介入して斉興に隠退するよう圧力をかけ、斉彬が藩主になる。

そしてその斉彬に抜擢されて、西郷隆盛が国事に奔走することになる。

 

 

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