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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

篠原国幹と池辺吉十郎の沈黙対決

不言実行は武人の美学。それなので薩摩藩の人物には寡黙な人がおおい。大久保利通もそうだし、川路利良東郷平八郎……しかし彼らも篠原国幹(しのはら くにもと)にくらべれば、口数が少ない程度にしか思えないかもしれない。

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篠原は片言たりともゆるがせにしない人物であり、しかも一言発すれば全軍の方向性を決定させる威力があった。西南戦争においても「西郷にとって桐野は外様であり、篠原こそ譜代である」といわれていた。

肥後の西郷・池辺吉十郎

その篠原国幹に、沈黙対決を挑んだのが、のちに西南戦争で熊本隊をひきいて薩軍に加勢する池辺吉十郎(いけべ きちじゅうろう)。「肥後の西郷」といわれ熊本の士族から慕われている人格者でもあった。(ちなみに『明治維新三大政治家―大久保・岩倉・伊藤論 』の著者・池辺三山の父でもある)

池辺吉十郎も寡黙な人であったらしい。西郷隆盛に傾倒していた池辺は、西郷の側近・篠原国幹が無口な人だと聞き、彼の口を開かせてみせよう、とたくらんで訪問したのである。

篠原宅訪問

池辺が篠原の家につくと、篠原は玄関で黙礼して迎える。このとき篠原は口を開かなかった。池辺も黙礼しただけで一言も述べない。

 

篠原は無言のまま座敷に案内し、二人はふたたび黙礼をして座る。篠原は口を固く閉ざしたまま、するどい眼光で池辺を射る。自分から発言はしない、と覚悟していた池辺も眼を光らせるのみだった。

 

一言も交わされないまま、正午になる。家人が食事と酒を運んできたので二人は黙礼して杯をあげ、箸をとる。そして無言のまま食事を終える。

そしてふたたび午前とおなじように沈黙したまま眼を光らせて対座する。ついに夕方にいたる。

家人がふたたびやって来て、晩餐を饗する。二人は黙礼して、酒を呑みながら食事する。無言のまま食事を終え、三更(午後11時から午前1時のあいだ)にいたる。(このころには池辺は閉口していたのかもしれない)。

ついに池辺は、このままいても篠原から発言することはないと観念し、黙礼して辞去した。篠原も黙礼して玄関まで送ったという。

池辺は熊本に帰り、「篠原の無口なのには驚いた」とまわりに語ったそうだ。

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