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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

西郷隆盛の隠遁癖——美点と欠点

西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)

横井小楠西郷隆盛のことを、
「どこやら西行に似ている」
と、評したという。それは西郷の隠遁癖を看破したものである。その隠遁癖ついて大久保利通牧野伸顕父子が語っているところを以下にまとめてみた。


人々の手本となった隠遁癖

 

池上という西郷派の幹部級のものが伊瀬地に語ったのに、維新後奥羽戦争も割合に早く済み、大した波瀾もなく封建制度を打破して新政を布くことが出来たのは、西郷が新政府の成立後逸早く帰郷したことが与って非常に力があった。すなわち当時は皆それぞれの野心を持っていたが、西郷の進退の仕方が綺麗だったので、これが他のものの手本となり、不心得者を抑えるのに役立ったということである。これはどの程度までそうだったかは言えないが、一つの見方であると思う。――牧野伸顕回顧録 上巻 

 

この話は西郷が隠遁することで、世間に好影響をあたえた話。しかも西郷が恬淡なることを見て、ますます衆望はその一身に集まったという。

 

禅と悪弊

 

一方で西郷の隠遁癖のために苦労した大久保は、前島密に次のように語っている。

 

西郷は従来はなはだ感情に敏い、いわゆる多感の丈夫である。そうしてその血性燃ゆるがごとき熱情を制しながら、ものごとに対して古木冷灰(こぼくれいかい)になろうと禅を学んでいた。思うに、身を処するにも世を処するにも無為恬淡であることは、激情家に益するところがあるにちがいない。それでありながら、西郷の禅は、西郷の期待にそわず、かえって西郷を意外の地に導いてしまった。つまり禅は、彼に益するどころか害し、妙にも感情を変化し、傲世の気風を生じさせた。傲世と隠逸は随伴する。これは禅を学ぶものが免れがたき病である。西郷も事実これに陥っていた。彼が袖を払い下野したことも、病の誘因したところである。彼がもし隠逸をよろこばず、あくまで世俗のなかにあって事務をみて国事に専心していれば、どうして官を去る必要があったか。またどうして惨劇を演じて奇禍にかかることがあっただろうか。予は少しく禅味を解するのみ。しかもこれを愛していないのではない。ただこれを学ぼうとはしないのだ。ややもすればその病に陥るのを恐れるからだ。(意訳)

 

徳富蘇峰はこの大久保の発言をふまえて、維新以降西郷を表舞台に立たせること、引き留めておくことに大久保もよほど骨を折ったに相違ないと書いている(近世日本国民史 明治三傑 西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允 )。

 

西郷の隠遁癖は美徳であったにちがいないが、政治家としては欠点でもあった。それだから維新のとき肝胆相照らし、征韓論で対立した大久保は、明治6年東京を去る西郷にむかって「あなたはいつもそうだ」と、無責任なことを批判したのだろう。