天理と一体となる西郷隆盛――敬天愛人について2
道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ(南洲翁遺訓二十一)。
前回、敬天愛人の「愛人」について触れたので今回は「敬天」について考察してみたい。
天理と一体となる
三途の川を越える
西郷隆盛の生涯を観察してみると、命などいらぬという放胆さによって難局を打開していることがわかる。たとえば第一次長州征伐は彼の大胆な行動によって平和的かつ迅速に解決されている。
第一次長州征伐のころ、関門海峡は”薩摩人の三途の川”といわれていたにもかかわらず、薩人の西郷はその三途の川をわたり、過激派の本拠地となっていた下関に乗りこんだ。当初、周囲からは反対する声もあった。しかし、西郷はそうした人々につぎのようにこたえている。
「長州が自分を殺せばかえって彼らの立場は窮迫し、問題解決がたやすくなる」
このように殺害されることも想定していながら三途の川を越え、生命があれば無事にまとめられる自負があり、反対に殺害されるならばそれによって長州に厳罰を加えることで諸藩の意見がまとまる。いずれであっても内紛を解決できると見ていた。そして生死に執着しない境地に達していた。
このときの西郷と、後年の朝鮮へ使節として派遣されることを望んだ西郷は、結末こそちがうものの、その志向するところは似通っているところがあったとおもわれる。天理と一体だと信じて生死を超越していただけではなく、天理にしたがった誠実さで相手とむきあって道理を説き納得させる。談判のときに見せる彼の誠心は、絶大な威力を発揮するし、相手の立場を考える寛大さもあり、なおかつ駆け引きはたくみである。
それでもなお相手が愚昧であり危害をくわえようとするならば、相手は天理に逆らうことになり結果的に破滅せざるえない。
死に場所を求め朝鮮への派遣を望んだ、というふうな見方もある。しかしそれは西郷の一面しか見ていないのではないか。というのも、身命を賭して局面にあたることは西郷の常套手段であり、死中に活を得るのが彼の本領だ。彼が求めていたのは死ではなく、天理を実現させることにあったのではないか。
只今生まれたりと云ふことを知って来たものでないから、いつ死ぬと云ふことを知らう様がない、それぢやに因って生と死と云う訳がないぞ。さすれば生きてあるものでないから、思慮分別に渉ることがない。そこで生死の二つあるものでないと合点の心が疑わぬと云うものなり。この合点ができれば、これが天理の在り処にて、為すことも言うことも一つとして天理にはづることはなし。一身が真っ直ぐに天理になりきるなれば、是が身修まると云うもの。――『遺教』
克己
これまで述べてきたように、彼は生死を天にゆだねていたから危局において大胆であり、対峙する者を圧倒でき、ついには局面を打開している。
危局にのぞむことにより西郷は事上磨錬している。さらにこうした死中に活を求める行動が敵味方を問わず惹きつけ、畏敬の念をいだかせ、信頼させたともいえる。
そうして評判が評判を呼び、彼の名のもとに衆望が集まったのだろう。
すなわち大多数が西郷に望みを託していたわけであり、ここにおいて天理一体が現実に反映されているともいえる。
衆望があつまるということは英雄とか偉人といわれる人物によく見られるけれど、その多くが名声を得ると驕慢になり、最終的に堕落することがある。
西郷は堕落する理由について「みずからを愛してしまうためだ」、としている。
では、堕落から免れる方法はなにか。
『遺教』では己に克つことだと述べている。「敬天」としていた理由もそこにある。己を天と一体とさせながらも、天を敬いつづける。敬いうる己であり続けられるよう励んでいた。
己を敬うとは、自己満足することではない。
長い年月を経て人間が動物から進化してきた一つの原動力は、愛と同時に敬する心を開拓養成することになったことであります。現実に満足しない、すなわち無限の進歩向上を欲する精神的機能が発して、敬の心になる。――安岡正篤『人間を磨く』
身を修するに克己を以て終始せよ、と遺訓にあるのはこのためだとおもわれる。天を敬い、人を愛する――言葉としては簡単だが、間断なき克己があってこそ実行できる。
「敬天」は「愛人」とむすびつき、天地万物を一体とする孔子の志を体現することになる。そのことについては次回、寺田屋事件の西郷、西南戦争の西郷をみながら天地万物を一体とすることに触れようとおもう。