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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

武士は困るということを言うべきものではない――高杉晋作の家訓

「武士は困るということを言うべきものでない。困る時は、即ち死ぬる時なり、是れ我が家訓也」(『高杉晋作』横山建堂)

 

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photo credit: Philerooski via photopin cc

晋作に影響を与えた家訓

晋作は「困る」ような局面に陥らないようにしていた。もちろん、すべての行動が成功したわけでない。失敗したり頓挫していることもある。というより若い頃はうまくいかないほうが多かったのではないか。

 

海軍蒸気科修業(軍艦の扱い方)のため、海路江戸にむかったときも船酔いしたり、雑事に嫌気がさしたりして離脱している。

 

自分には航海はむいていない。

だが剣と文学がある、というふうに考えて剣と文学の修行へと切り替えた。リスタートは早かった。

 

けれど剣術も決して強いわけではなかったようで、栃木の『聖徳太子流』という流派に負けている。

 

そんなことがあり文学とか学問のほうへシフトしていく。彼の偉いところは失敗したり、うまくいかなかったりしても困らなかったことにあった。

敗戦した場合のこともつねに考えていた

「事一敗すれば、即ち船を以て上海に走り、船を売って自分は切腹し、その金を以て、同志を欧州に留学せしむべし」

馬関戦争のとき晋作が言っていたと田中光顕が回顧している。勝利こそが目的である戦争においても、あらゆるケースを想定していたことがわかる。

 

しかも、自分は切腹して同志を欧州に留学させる、というふうにどんなときも世界を見据えていたことがうかがえる。また自分が責任を負うことで仲間に累が及ばないようにしていた。仲間が困らないように……。

 

敵も困らせない

伝記の作者である横山建堂によれば、晋作はこの家訓に涵養され、陶冶された。しかし奇妙なところは、敵すらも困らせないところがあった。敵のためにも、一条の活路を開いておいて、家訓を敵にも味方にも応用していた。これは晋作の一生の事業を通じて見える精神だという。

 

「窮鼠猫を噛む」「背水の陣」という言葉からわかるように、追いつめられ者が死勇をふるい、形勢を一変させることがままある。厳島に籠もった毛利元就も、あえて自分たちを追い込むことで敵を打ち破っている。

 

晋作はそれを知っていたからこそ、相手を窮地に陥らせなかったという。