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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

「フランス士官の下関海戦記」書評 

書評、レビュー

 本書は、フランス人から見た幕末の日本が書かれています。当時の日本が、外国人にはどのように写ったか。そして何を伝えるべくして書きあらわしたかが、本書を手に取った自分の関心でした。本書で際立っている描写をまとめますと、

  • 「日本人の住居の際だった特徴は、極度の清潔さにある」としている。
  • 平民は愛想が良く、熱心に尽くしてくれたこと。そして好奇心が強かったという。
  • 一般的に開放的で、知的である。
  • 極端な礼儀作法に従っている。
  • 風景の美しさ。
  • 「日本の外交官の言辞は、日本の取る政策と同じように時間稼ぎと二枚舌の性格を帯びていた」という政治家における狡猾な面。

 上記の特徴は随処で見られます。またアーネスト・サトーの著作でも同じ特徴が書かれていたりします。

 日本人が一般的に外国人をおそれていなかったことについてペリーの伝記、サトーの「一外交官の見た明治維新」、などを見てもわかります。豊臣秀吉の時代には、日本人が荒波を越えてルソンなどに出て行っているくらいです。攘夷という排外的な気質は、日本人に元来根付いていたというより、政治上の理由から生まれたものだと自分は思う。(これについては戦国時代の外国船の人身売買、水戸藩で起きた事件との関わりが大きい)

フランス士官の下関海戦記

服装

日本人の服装は属する階級によってまちまちである。彼らは服装を替える権利を持たないのである。下層階級の服装には時に我が国の中世の服装と似たものがある。例えば、冬、ぴったりとした股引を穿いてベルトで留め、背中を寓意的な模様で飾る上着を着た苦力など、奇妙に十五世紀の徒弟を思わせる。武士や支配階級の者は、状況に応じていくつもの服装をする。だが、いずれにしても、外出時には腰に差した二本の剣は手放すことがない。これが、彼らの階層を示す重大な印なのである。訪問する時には、控えの間でサンダルを脱ぎ、二本の剣のうち長いほうを置く。彼らには外出着もあって、それは二枚の羽のように肩をはみ出す絹のスペルペリチウム(司祭が法衣の上にまとう白衣)ふうのものが付いている。礼服は地面を引きずりそうな長い服である。火事の時には、金属の兜を被り、厚いヴェールで顔を覆う。戦闘用の鎧は、我が国の騎士の鎧と同じようなものであるが、彼らはそれを戦争の場合にしか身に着けることはない。支配階級の上位の者になると、衣装部屋に白地(喪の色)の《自殺》用の服までもしまっている。自分か近親者の身に不名誉を投げ掛けるような落ち度があって罪を被った時、彼らはそれを着て、集まる家人の面前で腹を切り、この不名誉から自分と近親者を守る手段とするのである。

 また「馬上の武士は絵のように美しい」とも讃えている。

どの階級の日本人も、彼ら同士の場合、極端な礼儀作法に従っている。この点からすると、おそらく日本人は地上で最も形式主義的な民族だろう。――日本人が二人出会うと、それが貴人であろうと人足であろうと、何らかの特殊な規則で定まっているらしいお辞儀と挨拶をいつまでも繰り返して果てしがない。

 と、ユーモアをまじえているが、これは平民に対する愛情から生まれたものだろう。「平民となると、愛想が良く、熱心に尽くしてくれる」、そして散歩の途中、自己紹介をすると、「村人たちは私たちをいそいそともてなしてくれるのだった。火鉢に掛けっぱなしにしたお茶を小さな碗についで差し出してくれるのだが、その代わり、口々に好奇心を丸出しにした質問を浴びせかけるのだった。そうした問いは、すべて真心と善意から出てくるものであり、私たちの共感を呼ぶものだった」。しかしこうした好意も、「開かれた港の周辺では失われつつあるようである。少し国内に入り込まなければ、もうこうしたことに出会うことはない」。と悲しげに筆記されている。

風景

 日本の民衆と初めて接して共感を呼び起こされたのなら、その旅人は、この国の心地良い風景にはいっそう魅惑されることだろう。日本国中、特に南のほうは、美しい風光と肥沃な土地とで知られている。横浜の近郊も、この評判に違うものではなかった。――斜面という斜面全体が木々に覆われた丘の連なりを想像していただきたい。斜面と斜面を谷が隔て、そこに川が流れている。――緑の水田が低地の全体を占め、穀物などを栽培する畑が台地を満たしている。この調和のために、風景全体が果てしのない庭園のように見える。我が国の海岸松に似た一種の松が至る所に生え、優雅な影で高台の項を飾っている。松の周りには、杉、月桂樹、柏などの緑の木々やさまざまの色の葉を付ける木々が生い茂る

 

 美しい景色を目にしたとき、言葉がふいにうかび、書き残しておきたいと思うことがある。フランス人の著者も、それと近い感情を抱いたのではないだろう。

政治家

 日本の外交官の言辞は、日本の取る政策と同じように時間稼ぎと二枚舌の性格を帯びていた。きっぱりした問いには、いっこう答えようとせず、言語の違いで翻訳の時間がかかるために考える暇が与えられるものだから、それを利用してはっきりした拒否を表明しないように心掛ける。そのくせ、相手側に譲歩めいた言葉や譲歩を認めるような態度をとらえると、その領域に飛び付き、執拗に食い下がる。彼らのこのような態度のために会議は長引き、骨が折れるだけで大した結論も出ないものとなったのだった。


 とくにこの性質は、横浜立ち退き問題での幕府の態度に顕著だったようだ。

 

 本書にかぎらず、外国人が記した幕末や維新の見聞録に通ずるのは、日本の認識が必ずしも精確ではないことだ。それは彼らの背景にある文明と日本の文明が異質であり、東洋に関する知識をもってしても日本独自の性格に行き当たってしまうからだろう。その異質なところが、知識人の興味をかき立て、考察させたところもあり、また誤解も与えてしまったのだろう。
 西洋人が異質なものを咀嚼し、しかもそれを直接見聞する機会がなかった人々に伝えようとした著作は、幕末と時間的な隔たりがあり、古来よりのものがうすれつつある現代の日本にも、大きな役割を果たしている。とくにこの記事では触れていない馬関戦争の詳細な記述は貴重な史料となっている。

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