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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

『センスをみがく 文章上達事典』に書かれた作家たち

 ブログを書き始めたこともあり、本格的に文章を上達させなければと「センスをみがく 文章上達事典」を手に取りました。参考になることも、おもしろいことも書かれている本です。執筆するテクニックの説明も面白いのですが、紹介される作家のエピソードや考え方にも、面白い話がありましたのでいくつか取り上げてみます。

 センスをみがく文章上達事典―魅力ある文章を書く59のヒント
文の長さ

 昔、仕事で井伏鱒二宅を訪ねた折、こんな話を聞いた。ある人物が、谷崎潤一郎に小説家になる心得を尋ねたところ、「とにかく長い文を書けばいいんだ」といわれてあきれたという話である。この文豪が本当にそんな答えをしたのかどうかは今更確かめようがないが、そんな話がいかにもありそうに思うほど、実際に谷崎自身は一つ一つの文の長い文章をつづった。

  著者はこのあとに『細雪』の文章を引用して、長い文章をつづりがらも、よどみなく展開させる高度な技術を解説する。それに続いて武者小路実篤の短い文がつらなった文章を紹介し、短い文章のつくりだす余韻や、わかりやすさを説明している。

「とにかく長い文を書けばいいんだ」という谷崎のことばはトレーニングとしては必要なのかもしれませんね。文章が長くなるにつれ、構造が複雑になるので、注意力と明晰な頭脳が必要なのでしょう。そして煩雑なところをスマートにする技術も問われる、と自分は思ったりした。とはいえ、技倆のない自分としては長さを重要視せず、情報を過不足なく伝えられるかを要点にしようと思う。

推敲

 志賀直哉は、ひととおり原稿を書き終えたあと、それを引き出しの中に入れて、ある期間そのまま寝かせておいたらしい。(略)
 すぐに編集者に渡さずに、あとで冷静にもう一度読み返し、気になる箇所に充分に手を入れて、これでいいというところまで煮つめてから完全原稿を渡そうというのだろう。そのときすぐではなく少し時間をおくほうが、興奮も冷めて的確な処理ができるという判断だったにちがいない。しかし、時が過ぎると感覚が戻ってこない人もいるから、どの時期に読み直すと効果的はむろん一概には決められない。だが、書きっ放しにせず、一度読み直す習慣をつけることが大事だ、という点は動かない。

逆説

 

 逆説という話になれば、何といってもあの小林秀雄の名前を出さないわけにはいくまい。ここでは『井伏君の「貸間あり」』という批評文の中の一節を取り上げてみよう。

 文学を解する二派、読んだだけでは駄目で、実は眺めるのが大事なのだ。

 日常の理論ではうまく伝えきれないものが出てくると、この批評家はよく、こういった逆説的な言い方に訴える。それはあたかも常識を逆なでする表現だ。 
 世間のふつうの考え方で行けば、本というものは「眺める」より「読む」ほうが当然よく頭に入る。ところがここでは、「読む」より「眺める」ことのほうが大事だと、いかにも自信たっぷりに書いてある。これはいったいどういうことだと、読者は一瞬立ち止まる。
 この矛盾を解決すべく、読者はそこで「眺める」ということばにこめた作者の真意を探ろうと積極的に思い巡らすだろう。ここでの「眺める」ということばは何か特別の意味で用いているのではないか……たっぷり時間をかけて内容をじっくりと読みこなすという意味だろうか……それとも、作品の中にあまりのめりこまずに、少し距離をおいて全体像をとらえようとするという意味だろうか……あるいは、その文章中に述べられていることを基礎データとして、そこに書かれていないその先を見通すという意味だろうか……。
 こんなふうに読者は、積極的にその文章の中へ入り込んでいく。改めて考えてみると、文学作品を対象とした深い“読み”というものは、今あれこれ想像してみたような行為を含んでいることに気づく。ひょっとすると、「眺める」という語は、そういった個々の行為ではなく、そのような全体の行為を象徴的にあらわすために小林秀雄が特に選んだ動詞だったのではないか。そんな考え方に発展するかもしれない。

 

 小林秀雄については詳しくないので、上に書かれた特徴をはじめて知りました。こういった未知の情報によって、執筆する技術だけではなく、将来小林秀雄の作品を読書する楽しみも学べますね。

結び

 以前、帝国ホテルの一室で吉行淳之介の口からこういう意味のことを聞いたことがある。口調を再現しながら紹介しよう。短編で一番いけないのは、すとんと落ちがついて終わるもの。あれは衰弱だな。「だから、そこを警戒しつつ、一回ギュッと締めて、パッと広がして終わらすということを心がける」。「さりとて、曖昧にぼかしてもいけない」。「終わってギュッと締めて、フワッと放してふくらます感じを出す。それはあくまでも明晰な広がりでなくちゃいけない」。「わざと終わりを削って曖昧にして効果を出すというのは、僕は邪道だと思うんだ」。――終わったことに気づかず、読者が「次のページをめくりそうな終わり方」をした作品が自分にもあったことを、この短編の名手はすなおに認めたうえで、そういった自戒の念をこめてつつ自らの理想を語ったことばだったのだろうか。

スタイル

 武者小路実篤は文章を書いていて気に入らなければ最初から書き直す。部分的に修正すると、そこだけ調子が変わり、自分の文体ではなくなってしまうからだという。真っすぐに伸びる文体はそうしてできあがる。同じ白樺派のもう一人の代表作家である志賀直哉は逆に、自分の気に入った文章になるまで徹底的に推敲を加える作家だった。

 志賀直哉について思い出すことは、以前読んだ森銑三柴田宵曲共著の『書物 』の解説(中村真一郎)で、志賀直哉は推敲するたびに文章が削られたという話です。逆に中村真一郎は推敲を重ねると文字数が増えて、そのことを皮肉られたとか。

 ここに紹介した以外の文章家、小説家についても言及され、多くの名文を引用してテクニックを紹介しています。作家がどのような傾向をもっていたか、またどのような技術を駆使していたのかを知ることができます。そこから、自分が目指すスタイルを見つけることもできると思いますし、あるいは文章に変化をつける参考としても便利でしょう。

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