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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

散歩しながら世上を観察した勝海舟

幕末・維新

「民の声は神の声」という格言がユダヤ人のタルムードにあり、中国の古典『春秋左氏伝』には「民の欲する所、天必ずこれに従う」との記述がある。

勝海舟のつぎの談話もまた、上記二つの格言に通ずるものがある。

書生だの浪人だのという連中は、昔から絶えずおれのところへやって来るが、ときには五月蠅いと思うこともあるけれど、しかしよく考えて見ると、彼らが無用意に話す言葉の内には、社会の形況や、時勢の変遷が、自然に解って、なかなか味わうべきことがあるよ。匹夫匹婦の言も、虚心平気でこれを聞けばみな天籟だ――『氷川清話 

 

勝海舟がその天籟に耳を傾けていたからこそ、江戸無血開城がおこえたのではないだろうか。

 

散歩するオランダ人の習慣を取りいれる

『氷川清話』で「文字が嫌いだ」などと言っているけれど、実際にはかなり苦学している。剣と禅で心胆を練ったあと、蘭学を学ばなければいけない、と思い立ち、貧窮していたにもかかわらず金を百疋(ひゃっぴき)もって箕作という人から学ぼうとしたらしい。が、

「お前のような気の短いものがやるものじゃない、これは中々骨がおれるから止めたほうがいい」

 といわれ、しかたなく永井青崖という人について学ぶことにしたという。

 

「その蘭学をいかに勉強されたかというと、当時の字引を一ヶ年かかって二冊写した。そうしてその一冊を売って自分の生活を支えられた」(徳富蘇峰『時勢と人物』)

 

その字引を写す間、冬には布団がない、夏には蚊帳がない、薪がないから窓の格子や何かを折って薪とし、米はないから、五号とか一号とか買って来て、それを徳利の中にいれて、その中で搗(つ)いて食べていた。

 

蘭学を修得したあと、幕府の命により長崎へ行き、海軍のことを学んでいた。

オランダ人教師が市中をぶらつくので、勝はその理由をたずねる。

第一に身体のためによい。同時に、見知らぬ町を歩きまわることで人々の生活の様相や、人々がいま何を望んでいるかが知れる。つまり、今日にいう世論がわかるということ。目的なく歩くが、属目することが勉強なのである。――半藤一利『エッセイで楽しむ日本の歴史下』

このように散歩が有益であることを知り、さっそく生活に取り入れたという。

世上を観察

 

また『氷川清話』では「市中をぶらつけ」とある。勝海舟は市中をぶらつき、博徒や任侠の親分子分の関係が「精神の感激」により成り立っていることを知る。「精神の感激」こそが、人と人が対峙するうえでもっとも大切なものだと悟ったようだ。

 

新政府軍が江戸に進撃した場合を考え、ゲリラ戦略と民衆の救助を頼んでいた。勝が腹を割って話したことで、彼らは協力を惜しまなかったという。

大鳥圭介を諭す

もちろんゲリラ戦略は、最終手段であり、また新政府軍と会談するとき、”精神を活発にしておくため”の策でもあった。つまり後がない状況に身を置くことで、精神を活発にさせていた。

 

なにより最善の策は、知己の西郷隆盛と会談し、内乱を最小限におさえることだった。それだから大鳥圭介との以下のような逸話がある。

 

江戸無血開城の二、三ヶ月前に、勝は幕府の精鋭部隊があった麹町をぶらりと立ち寄る。すると大鳥圭介は、ナポレオン軍を撃破したロシア軍の焦土戦術を論じていたそうだ。そこで勝は大鳥に言った。

 

 いまの大鳥さんのお講義、大変結構だ。歴史を学ぶということたあ、武士の武芸だ。時間がねえんで、一つだけ、わたしの意見を言っとこう。戦術として自国の首府を焼く、そいういうこともあろう。だがネ、そのために何人の人が家財を灰にし、無辜の民が何人殺されたかを考えなきァいけねぇヨ。モスクワではその数が八万とも十万ともいうわさ。
 だれがこの戦術を考えたか、わたしの調べたところによれば、名前は忘れたが、プロシア人の総参謀なんさ。外国人だから、平気でよその国の首府を焼きつくすことができたんだ。自分の国のなかで、これができるか。あんたら上級士官はよく考えてみておくれ。――半藤一利『エッセイで楽しむ日本の歴史下』

エッセイで楽しむ 日本の歴史〈下〉 (文春文庫)

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