非難に干渉せず、批判を薬とせよ。――タキトゥス『年代記』、『春秋左氏伝』から
非難を封じ込めようとした愚かな権力者
タキトゥスの『年代記』によれば、元老院を非難する演説をしたクレムティウスは、食を断ち絶命すると、元老院ではクレムティウスの著作を焼いてしまう。
しかし、こっそりと保存され、後には出版された。それでなおさら権力者の愚昧を笑えるであろう。彼らは現在の権力でもって、次の世代の名声までも抹殺できると信じているのだから。事実はそれに反し、精神の英雄は罰せられてますます高められるのだ。――タキトゥス『年代記』
これとは反対の態度をとったのが、ユリウス・カエサルやアウグストゥスだったとタキトゥスはいう。
非難を冷静に我慢し、干渉したことはなかった。これはどちらとも判定し難いが、おそらく、自制力よりも、賢明な思慮から生まれたものだったろう。というのも、黙殺されるといつの間にか消えてしまうが、腹を立てると真実であると認めたと世間は見るからである。――タキトゥス『年代記』
批判を受け入れた賢明な政治家
『春秋左氏伝』*1には、批判を薬とすべきだという子産(しさん)の逸話がある。
人々が郷校にあつまって政治の批評をしていた。そこで子産に、「郷校を壊したらどうですか」と告げた人があった。それに子産は答える。
とんでもない。かれらが朝夕の出仕から退出後に、ここに寄り集まって、時の政治の得失を論議する。そこで喜しとされることを吾が施行し、悪いとされることを吾が改める。これは吾の師である。壊すなど、とんでもない。『善しとすることに耳を傾け、人の怨みを減らせ』と吾は聞いたことがあるが、『威をふりかざし、怨みを封じ込めよ』などとは聞いたことがない――『春秋左氏伝』
それから論議を川の流れにたとえる。川の流れを堰き止めることはできるが、もし勢いが強くなって堰が決壊したら甚大な被害となる。そうなるよりは、小さく堤を切って流していた方がいいのだ。そのほうが手に負える。論議を耳に入れてそれを薬とした方がよいのだ、としている。
孔子はこうした言行から、子産を仁者としている。
自分は最近非難されることがあったので、こうしたエピソードを記事にすることにした。(史上の人物をおもいだし非難を乗り越えた )
どんな人間も非難や批判を免れることはできない。ただ、それに賢明な対処ができるかが肝要なのだろう。