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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

勝海舟の修行――敵の中に知己をつくった男

『本当に修業したのは、剣術(禅もふくまれるだろう)ばかりだ』と勝海舟はいっている。僕のなかで勝海舟は、航海や蘭学のイメージが濃かったので意外な気がした。
 戊辰戦争のとき、勝と西郷が肝胆相照らし江戸攻撃が中止になる。それは勝の開明的な大局観のみだけではなく、幕臣の反対を押しきった胆力があってこそ成し遂げられたという。

氷川清話 (講談社学術文庫)

 

勇気と胆力を鍛えた修行


 剣術の師にあたる島田虎之助は、
『今時みながやりおる剣術は、かたばかりだ。せっかくの事に、足下(あなた)は真正(ほんとう)の剣術をやりなさい』と始終いっていたそうだ。

 勝は島田の塾に寄宿するようになる。そこで炊事など雑務をこなし、その日の稽古がすむと、稽古着一枚で王子権現に行く。着いてからまず拝殿の礎石に腰をかけ、瞑目沈思して心胆を練って、そのあと木刀を振り回し、ふたたび礎石に腰掛け心胆を磨錬し、また木刀をとる。
沈思と素振りのメニューを夜明けまで五、六回くりかえしてから帰り、すぐに朝稽古をして、また夕方に王子権現へ行く。そうした修業を一人黙々とつづけたとのこと。

 こうして勇気と胆力を練り上げた勝は、
「瓦解の時分、万死の境に出入して、ついに一生を全うしたのは、全くこの二つ(剣術と坐禅)の功であった」(『氷川清話』)と語る。

信念を貫き、危地を越える

 以前の記事で書いたとおり勝は、刺客に狙われたとき丸腰で対応している。軍艦で遭難したこともあり、新政府軍と品川で談判した帰りには狙撃され、弾丸が鬢(ビン)をかすめている。
歩兵を鎮撫するため説諭しているときには、最初の銃弾が持っていた提燈を貫き、つづいて二発目は馬のまえに立つ兵士を倒した。
 勝海舟が才子というだけなら、上述した危難のうちに斃れていたか、気折れしていただろう。

 根気が強ければ、敵も遂には閉口して、味方になってしまうものだ。確乎たる方針を立て、決然たる自信によって、知己を千載の下に求める覚悟で進んで行けば、いつかは、わが赤心の貫徹する機会が来て、従来敵視して居た人の中にも、互いに肝胆を吐露しあうほどの知己が出来るものだ。区々たる世間の毀誉褒貶を気に懸けるようでは、到底仕方がない。

と氷川清話にあるが、勝海舟の経歴と照らしあわせれば頷ける。