山岡鉄舟の死――坐禅を組んだまま
正午前、勝海舟が山岡家の玄関に行く。すると鉄舟の息子山岡直記《なおき》が出て来て言う。
「いま死ぬるというております」
勝が中に入ると、人が大勢集まっている。その真ん中に鉄舟がいた。真白の着物に袈裟をかけ、神色自若として坐禅を組んでいる。
「どうです。先生、ご臨終ですか」と、勝が問う。
鉄舟はうすく目をひらいて微笑んだ。「さてさて、先生よくお出でくださった。ただいまが涅槃《ねはん》の境に進むところでござる」
いつもと変わりなく口調は落ち着いていた。
「よろしくご成仏あられよ」そう言って、勝はその場を去った。
用事をすませて帰宅すると、勝の家内が「山岡さんが死になさったとのご報知でござる」と話した。
「はあ、そうか」と勝は、聞き流した。そのとき驚くこともなかったという。
鉄舟は皇居にむかって結跏趺坐のまま死んだ。
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