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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

佐久間象山――幕末一の洋学者であり天下の師と自負していた男

天下の師と自負していた男

象山は、幼少のときから賢かった。三歳のときの逸話が「おらんだ正月」にある。

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お寺の門山あった「禁葷酒」という石の表札を見て、文字を暗記した象山は、負ぶってい乳母の背中に「禁」の字を指先で書いた。驚いた乳母は、家に帰って象山の父に告げる。父は紙を準備して、筆を持たせ、
「これに書いてごらん」と象山にいう。するとすんなりと「禁」の字を書いた。

新編・おらんだ正月 (岩波文庫)

壮年の天才的エピソード

江川英龍のもとで西洋砲術を知り、洋学の必要を自覚したのは34歳のときだった。そこからオランダ語を学びはじめる。不眠不休の努力を重ねて、普通の人が一年かかるところを、二月ほどで仕上げた。一年足らずの間に、一般の人が5、6年かかる分の勉強をしたのだ。昼も夜もほとんど机にむかっていたので、「佐久間という男は、いつ睡るのやら分からぬ」と、噂されたという。

 

しかも机上の空論ではない。ガラスを造る技術なども習得していた。それから江戸に出て、砲術兵学を教え、その名を高めた。
 
象山に師事した人物は、勝海舟小林虎三郎吉田松陰坂本龍馬河井継之助橋本左内真木和泉らがいる。そうそうたる面々だ。そのうちの吉田松陰が海外密航を企て失敗し、師の象山も連座して蟄居することになった。

 

蟄居をしている間にも、ショメール『百科全書』、ソンメル『宇宙記』などを読んで、叙述して、あるいは自分で工夫して銃を造り、あるいは電池をつくって、電気の実験をし、またガラスを造ったりした。写真術も研究し、自分で写真を撮った。今残っている象山の肖像は、象山の持っていた写真機で写した写真を修正したものだ、と『おらんだ正月 』にある。

 

罪が許され、蟄居が解かれる(なんと8年にもおよんだ!)と、久坂玄瑞や、中岡慎太郎が来て、それぞれの国許である長州、土佐に招こうとした。しばらく政治から遠ざかっていたとはいえ、依然象山の頭脳は必要とされていた。その話にこころ動かされながらも、結局、長州でも土佐でもなく、幕府に召されて京に上る。

「今上京されるのは、薪を負うて火の中へ入るようなものですから」と身内のものが止めようとした。それに対して象山は、
「この場合一身上のことなどと構ってはいられませぬ」といい、

  折にあへば散るもめでたし山ざくらめづるは花のさかりのみかは

以前作った歌を示して、断然国を出た。それが象山の死出の旅となった。

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