篤姫入輿と将軍継嗣問題

徳富蘇峰は幕府と薩摩の縁談が持ち上がったことは将軍継嗣問題のためでなかったことを看破していた。そして芳即正氏が安政元年頃に書かれた「御一条初発より之大意」をみつけたことでこの縁談が嘉永3年に持ち上がっていたことが判明し、それによりこの縁談はそもそも将軍継嗣問題のためではなかったことが明らかになった…