佐々友房と肥後気質

副島種臣が養子にすることを望み、木戸孝允をして「後世恐るべしはこの子なり」と言わしめたほどの秀才だった佐々友房。もしも彼が東京に留まり副島種臣に薫育されたならば才徳兼備の一大人物になっただろう。あるいは、才徳兼備とまでいかなくとも、後年のような迷走はなかったはずである。しかし彼は風雲児たらんと欲し…