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幕末維新備忘録

幕末から明治維新に関する備忘録

西郷隆盛と折田要蔵の乱闘——渋谷直武談(史談会速記録)

『近世日本国民史』のなかで徳富蘇峰は、西郷隆盛が高潔な人格とユーモラスな人柄を併せ持っていたこと述べ、くわえて「西郷はことさら恭謙、士に下って、もって人心を収攬せんことを力(つと)めた王莽一流の偽君子ではない。彼はその人の悪事に対しては、…

斉彬に重用されてからの西郷隆盛の活動

安政三年、西郷隆盛は本格的に重用されはじめた。 七月九日には斉彬から書状を託され水戸へむかっている。これは徳川斉昭への書簡を届けるだけではなく、書面だけでは伝えきれない秘事を水戸藩の重臣に授けるきわめて重要な任務だった。 徳川斉昭の活路を開…

独立の気象がある西郷隆盛と大見識をもって服従させた島津斉彬

島津斉彬はかつて、「西郷だけは薩国貴重の大宝である。しかし独立の気象があるので彼を使えるのは私だけだろう」と語っていた。 後年、島津久光が藩の権力を握り率兵上京を計画したとき、西郷が反対したことを思いあわせれば、斉彬は西郷の性質を看破してい…

西郷隆盛の藩政改革を制止した島津斉彬

島津斉彬の男児は『高崎くずれ』の頃に相次いで亡くなっている。この不幸は、お由羅側(久光擁立派)が呪詛したためだという風説があり、西郷もそれを信じて疑わなかった。 そして嘉永七年(安政元年)七月二十四日、当時六歳だった虎寿丸(とらじゅまる)が…

水戸側の人物と交流して薩摩藩の改革が必要であると実感した西郷隆盛

前回書いたとおり西郷隆盛と藤田東湖は互いに認めあい、国政改革の同志として親交していた。東湖の紹介により、江戸にいた志士と交わるようになる。当時の西郷に影響を与えたのは、水戸藩の人物が多かったようである。 水戸藩の俊傑たち 戸田忠敬(とだ ただ…

西郷隆盛と藤田東湖の関係

海江田信義が藤田東湖と面会したのは嘉永6年だった。つまり西郷が東湖と面会する1年前である。 東湖は、「大事業をなす人物が必要だ。薩摩の人物はどうであるか」と海江田に訊いている。 海江田信義は、西郷隆盛と大久保利通のことを語ると、 「二人は何歳…

西郷隆盛の生涯

西郷隆盛の生涯に関する記事のまとめ 1827年(文政十年)12月7日、下加治屋町(しもかじやまち)に生まれる。 父は吉兵衛(きちべえ)、母はマサ。先祖は菊池武光だとされる。 少年時代 13歳のときに友達と喧嘩して右腕を斬られ(故意か事故かは不…

島津斉彬に庭方役を命じられた西郷隆盛

襲封した島津斉彬は、藩士に意見書を提出するようにすすめた。広く意見を求めて、すぐれた人材を抜擢するためだった。 西郷隆盛はこれに応じて藩政改革や農政改革についての意見書をこまめに提出していたようで、後年の西郷はつぎのように語っている。「自分…

「この忠死の列に加わらなかったことを恨む」――高崎くずれに憤慨した西郷隆盛

西郷隆盛が23歳のとき「高崎くずれ(お由羅騒動)」といわれる政変が起こる。西郷は処罰を受けなかったので、大久保利通のように一家が閉門することもなく、弾圧後も郡方書役として勤務しつづけている。 高崎くずれの頃の大久保利通の苦心 - 人物言行ログ …

西郷隆盛のルーツと遺伝について

西郷家は菊池の一族 西郷隆盛は「菊池源吾」という変名をつかったけれど、これは”吾(われ)の源(みなもと)は菊池氏”という意味だという。(『西郷隆盛 命もいらず 名もいらず』) 菊池氏といえば南朝の忠臣・菊池武光がよく知られている。『日本三大決戦…

座牢でイカを釣った西郷隆盛

西郷隆盛が沖永良部島の座牢にいたころ、釣り具の手入れをしていたことがある。それを見ていた土持政照(間切横目:看守)は、見馴れない道具があったので、「どのように用いる釣り具か」と西郷に訊いた。 「座敷にいながらイカが釣れる不思議な道具である」…

児孫のために美田を買わず

児孫のために美田を買わず―― この詩句は西郷の清廉さを表現しただけではなく、自らを戒める言葉でもあり、「この言葉に違えるようなら、我は言行一致せぬものの譏(そし)りを受くるも可である」と西郷は語っていた。 つぎに示すエピソードは、この詩が彼の…

大山巌の学問と韜晦

大山巌は、兵士に学問させるか否かで桐野利秋と言い争ったことがある。 「兵隊の調練がないときは、遊ばせておくよりも学問をさせたほうが良かろう」というのが大山の意見だったが、「兵隊に学問はいらぬ」と桐野は反対した。 そこで大山はナポレオンが学問…

岩倉具視を罵倒し、大久保利通を刺そうとした桐野利秋

西郷隆盛の腹心として知られる桐野利秋は、岩倉具視を罵倒し、大久保利通を刺そうとしたことがある。これは西郷の朝鮮派遣が実行されないことに憤ったためであるが、西郷はこのために苦しめられたという。 西郷の主張に共鳴する そもそも桐野利秋は、西郷隆…

西郷隆盛の隠遁癖——美点と欠点

横井小楠は西郷隆盛のことを、「どこやら西行に似ている」と、評したという。それは西郷の隠遁癖を看破したものである。その隠遁癖ついて大久保利通、牧野伸顕父子が語っているところを以下にまとめてみた。 人々の手本となった隠遁癖 池上という西郷派の幹…

西郷隆盛と犬の話

上野公園の西郷隆盛像が薩摩犬をつれていることからもわかるように、西郷隆盛は愛犬家だった。西郷と犬の面白い逸話があったので、『大久保利通 』『幕末・明治名将言行録【詳注版】』から紹介したい。 大久保から妾を持つことをすすめられる 西郷と大久保が…

万物一体となり永生する西郷隆盛――敬天愛人について4

西郷隆盛は、西南戦争によって敗亡したのではない。それどころか永生の道を見いだしている。 彼は城山陥落とともに介錯され、対立した大久保もその数ヶ月後に紀尾井坂で暗殺されるが、その後の日本において、西郷の信奉者が多数いること、大久保の政策を引き…

西郷の天命観――敬天愛人について3

寺田屋事件と西南戦争について考察したい。 どちらも西郷隆盛を苦慮させた事件であり、その衆望のために悲劇に巻きこまれたともいえる。あるいは見方を変えれば寺田屋事件により天理一体を確信し、西南戦争により万物一体となる境地を貫徹したといえるかもし…

天理と一体となる西郷隆盛――敬天愛人について2

道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ(南洲翁遺訓二十一)。 前回、敬天愛人の「愛人」について触れたので今回は「敬天」について考察してみたい。 西郷隆盛の慈愛――敬天愛人について1 - 人物言行ログ…

西郷隆盛の慈愛――敬天愛人について1

西郷隆盛は感激家であった。日本史に感激家はあまた存在するなかで、もっとも大成した偉人が大西郷であり、大西郷がなにに感銘を受け、いかに刺激されたか究明すれば、大人物を組成している要素をあきらかにできるかもしれない。 彼は「敬天愛人」——天を敬い…

幕末薩摩藩の士風と教育

むかしの薩摩では、「三年に片頬」 といわれた。武士はげらげら笑ってはいけない。三年に一度ぐらい、それも片頬だけで笑え、というのものだが、歯をみせて笑わないにせよ、薩摩人はひとに接するときにはたえず微笑をしていたように見える。西郷という人もそ…